2009年2月13日金曜日

■まごころ論語 第九巻ー後半

全巻を再編集・現代語訳論語


第九巻 弟子たち 後半


九―三四(雍也第六―二)

仲弓(ちゅうきゅうが孔子に子桑伯子(しそうはくしの人物について尋ねた。孔子が言いました。

「寛大でよろしい」 その言葉の意味がよく分からなかったのでさらに、

慎み深くて、寛大な心で人々に接するのなら結構ですが、気持ちがたるんでいて寛大な

のでは、だらしないのではありませんか」

「そうだ、お前の言うとおりだ」

【故事ことわざ】

・敬(けい)にいて敬(けい)を行う。

・簡(かん)にいて簡(かん)を行う。



九-三五(公冶長第五―五)

ある人が、

「仲弓(ちゅうきゅうには仁徳があるが、惜しいかな話し下手です」 と批評したので、孔子は言いました。

どうして話し上手でなくてはいけないのだ。口先で人を丸め込む人間は、よく人から憎まれるものである。彼に仁があるかどうかは別として、どうして話上手である必要があろう」

【故事ことわざ】

・焉(いずく)んぞ佞(ねい)を用いん。



九―三六(先進第一一―五)

孔子が言いました。

「閔子騫(びんしけんは本当の孝行者であったから、父母や兄弟がその孝行ぶりを誉めても、けなす人はいなかった」



九―三七(先進第一一―一四)

 魯 の為政者が、財物蔵を取り壊して改築した。

孔子の弟子、閔子騫(びんしけが「以前のままでどうというのだろう。何で改築する必要があろうか」 と批評した。それを聞いて孔子は言いました。

あの男はふだん余りものを言わないが、言えば必ずポイントをついている」

【故事ことわざ】

・夫(か)の人言わず、言えば必ず中(あた)ることあり。



九―三八(雍也第六―九)

 魯の専横な家老が季氏が、閔子騫(びんしけんの代官に迎えようとした。

閔子騫(びんしけんが季氏の如き人物の下に使われることを嫌い、孔子に申し出た。

「どうか私に代わってうまく断ってください。もし誰か二度と使いに来ることがあれば、私は国境を越えて逃れます」



九―三九(公冶長第五―一)

孔子が弟子の公冶長(こうやちょうを評して言いました。

「あの男なら婿にしてもよい。牢獄の中に入ってはいたが、それは彼の罪のためではなかった」

そして自分の娘を嫁がせた。



九―四〇(公冶長第五―二)

孔子が弟子の南容(なんようを評して言いました。

「国に道徳があるときは世に埋もれることはなく、国に道徳がないときにも処刑されることはなかろう」

そして兄の娘と結婚させた。



九―四一(先進第一一―六)

南容(なんようは『詩経』の一節をいつも繰り返し口ずさんでいた。

『白玉の傷は磨けば消えるけど。言葉の傷は消せないよ』と、

孔子は兄の娘を彼と結婚させた。



九―四二(雍也第六―一〇)

弟子の伯牛(はくぎゅうがハンセン病の重病にかかった。孔子は見舞いに行って、窓越しに手を握ってから言いました。

「こんな道理はない、これが運命なのか。これほどの人が、こんな死の病にかかるとは、これほどの人がこのような病気だとは」

【故事ことわざ】

・斯(こ)の人にして、斯(こ)の病あること。



九―四三(公冶長第五―一〇前半)

弟子の宰我(さいがが昼からなまけて寝ていた。孔子が怒って言いました。

「『腐った木には彫刻ができない。ごみ土で作った土塀には上塗りのしようがない』と俗に言う。もうなどはそのとおりで、叱っても無駄だ」



九―四四(雍也第六―一二)

弟子の冉有(ぜんゆうが弁解した、              

「先生の教えは、全くそのとおりだと思いますが、どうも私の力が足りないのです」

孔子は言いました。

「力が足りない者は、少なくとも途中まで行ってから止める。しかしお前は、やっても見もしないで、自分に見切りをつけているではないか」

【故事ことわざ】

・女(なんじ)は画(かぎ)れり。



九―四五(子路一三―一四)

冉有(ぜんゆう)が朝廷から帰ってきた。孔子が、「今日はどうして遅かったのか」

と聞くと、冉有(ぜんゆうが、「政務が忙しかったものですから」

と答えた。孔子は言った。

「公の政務でなく、家老の家の用事であろう。もし政務であれば、今は役職についていない私の所にも、情報が入ってくるはずだ」



九―四六(先進一一―一七)

季氏(きしはすでによりも裕福であるのに、彼に仕えた弟子のは、重税を取り立てそれを増やすことに協力した。

孔子は怒って言いました。

「あの男はもう我々の仲間ではない。お前たちは太鼓を打ち鳴らしてその不正を非難追求してもかまわないぞ」

【故事ことわざ】

・鼓(つづみ)を鳴らして之れを攻めて可なり。



九―四七(公冶長第五―八)

懇意にしている魯の家老、孟武伯(もうぶはくが、「子路(しろは仁といえますか」

と質問した。孔子は、「わかりません」

と答えた。重ねてまた質問するので孔子が言いました。

「子路(しろは大国の軍事を担当する力があります。しかし仁といえるかどうかは分かりません」

「では、冉有(ぜんゆうはどうですか」

「冉有ぜんゆうは大都市の長官や大豪族の上役を務める才能があります。しかし仁といえるかどうかはわかりません」

「では、子華(しかはどうですか」

「彼は礼装して朝廷で賓客と応対できる外交の才があります。しかし仁といえるかどうかは分かりません」



九―四八(雍也第六―八)

の筆頭家老、実権者の季康子(きこうしが質問しました。

「子路(しろに政治を担当させても大丈夫ですか」

子路(しろは決断力がありますから、政治を担当するくらいなんでもありません」

「子貢(しこうはどうですか」

子貢(しこう)は物事をよく心得ていますから、政治ぐらいなんでもありません」

「では冉有(ぜんゆうはどうですか」

冉有(ぜんゆう)は才能豊かですから、政治などなんでもありません」



九―四九(先進第一一―二四)                         

専横な実権者の季氏(きし)一族、季氏然(きしぜんが質問しました。

「さしあたり、今出している子路(しろと冉有(ぜんゆうは大物の賢臣といえるでしょうな」

「何か変わったことでも聞かれるかと思いましたが、子路(しろと冉有(ぜんゆのことですか。そのそも賢臣というものは、道をもって主君に仕え、聞き入れられなければ身を退くものです。今の子路(しろと冉有(ぜんゆう)では、諫めるべきときにも諫めず、頭かずだけの臣というべきでしょう」

「それでは、彼らはなんでも言いなりになるわけですか」

「まあそれでも、父親や主君を殺すようなことには従わないだろうし、いざという時に節操を失うようなことはないでしょう」

【故事ことわざ】

・いわゆる大臣とは、道を以て君に事(つか)え、不可なれば則ち止む。

・具臣(ぐしん)と謂うべし。



九―五〇(雍也第六―四)

孔子の弟子の子華(しかが斉(せいの国に使者として派遣されたとき、冉有(ぜんゆうがその留守宅の母親に見舞金を出すことを願い出た。孔子は、

「粟(あわを一、二斗届けなさい」

冉有ぜんゆうが増やして欲しいと言うと、孔子は、

「では二、三斗届ければよい」と言いました。

余り少ないので、冉有(ぜんゆうが十四,五石贈った。孔子は後で説明した。

「子華(しかが斉(せいに旅立ったときは立派な馬に乗り、豪華な衣服を身につけていた。これは金持ちでなければできないことである。私の聞くところでは、君子は困っている者を助けるが、金持ちを更に富ましめるようなことはしないものだ」

【故事ことわざ】

・急なるに周(あまね)くして富めるに継がず。



九―五一(雍也第六―五)

孔子が魯の大臣になったとき、弟子の原憲(げんけんを自分の領地の管領に任じて百石を与えたが、原憲(げんけん)は辞退しようとした。孔子は言いました。

「給料であるから辞退してはならぬ。隣近所に分けてやってもいいではないか」



九―五二(公冶長第五―六)

孔子が弟子の漆雕開(しっちょうかいを仕官させようとしたが、彼は、

「私にはまだ仕官するほどの自信がありません」と言った。

孔子その向上心の篤い心がけを喜んだ。



九―五三(陽貨第一七―四)

孔子が小さい町の武城へ行くと、儀礼のための管弦に合わせて歌っている声が聞こえてきた。思わずにっこり笑って孔子は言いました。

鶏を料理するのに牛刀を使うように、ここでは少し大げさではないかな

武城を治めている弟子の子游(しゆうが答えました。

「以前、私は先生から、『上に立つ者が礼学の道を学ぶと人を愛するようになり、人々が道を学ぶと使いやすくなる。』と教えられました」

孔子は随行の弟子たちに言太字いました。

子游(しゆう)の言うとおりだ。さっきのは冗談だよ

【故事ことわざ】

・鶏を割(さく)に焉(いずく)んぞ牛刀を用いん。

・前言は之れ戯れしのみ。



九―五四(雍也第六―一四)

武城 の町長を努めている弟子の子游(しゆうに孔子が聞きました。

「頼りになる部下は見つかったか」

「澹台滅明(たんだいめつめいという者を見つけました。近道をせず、大道をまっすぐ歩き。公務がなければ決して上司である私の家には来ません」

【故事ことわざ】

・行くに径(こみち)に由らず。

・公事(こうじ)に非(あら)ざれば、未だかって偃(えん)の室に至らず。



九―五五(公冶長第五―一一)

「私はまだ真の剛者という者を見たことがない」

と孔子が言うと、ある人が、

「門人の申棖(しんとうならどうですか」

と聞いた。孔子は言いました。

申棖(しんとうはまだ我欲が強い、どうして剛者といえようか。真の剛者は、命もいらず名もいらぬ人でなければならない」

【故事ことわざ】

・棖(とう)や慾(よく)あり。焉(いずく)んぞ剛を得ん。



九―五六(公冶長第五―二四)

孔子が言いました。

「誰が微生高(びせいこうを正直な人だと言うのか。酢を貰いに行った人に、隣の家からこっそり貰ってその人にやった。これは人の好意をわが為に利用したもので正直というのはどうであろうか」



九―五七(憲問第一四―四六)

闕(けつ)村出身の少年が客の取りつぎをしているのを見て、ある人が聞いた。

「学問の進んでいる人ですか。」

孔子が答えて言いました。                        

「私はあれが大人の席についたり、先輩と肩を並べて歩いているのも見ました。あれは進歩を求めているものではなく、早く一人前に成りたいと言うものです」



九―五八(先進第一一―二)

孔子が嘆いた。

「私について陳、蔡で労苦を共にした弟子は、もう皆いなくなった」



九―五九(雍也第六―一三)

孔子が弟子のに言いました。

君子の儒者、つまり我が身を修め大局の見える学者になれ。小人の学者、つまり我欲のため枝葉ばかりの学者になるな」太字

【故事ことわざ】

・君子の儒となれ。

・小人の儒と為ること無かれ。



九―六〇(子張第一九―一二)

子游(しゆう が言いました。

「子游(しゆう)の門下の若者たちは礼儀作法は結構だが、それは末節のことだ。根本はというと何もない。どんなものだろうか」

それを聞いたは子夏(しか)は言いました。

「いや、子游しゆうはまちがっている。君子の道はどれを先に立てて伝えるとか、どれを後まわしにして怠るとかいうものではない。ちょうど作物を、種類によって区分けして育てるようなものだ、誰にでも同じような教育を押しつけてよいものか。何もかも兼ね備えるのは聖人だけだ。門人の若者に。求めることじゃない」



九―六一(子張第一九―三)

子夏しかの門人が交友について、子張(しちょうに質問した、子張(しちょう)は言いました。

子夏しかは何と教えているのか」

「よい人と交わり、よくない人は断るようにと教えられました」

「それは私が先生から聞いたことは違う、君子はすぐれた人を尊びながら一般の人々をも包容し、善い人を誉めながらだめな人にも同情する。もし自分の徳が高ければ、誰でも包容できないものはない。もし自分が不徳であれば人が自分をことわるだろう。自分がどうして人を断ることがあろうか」



九―六二(子張第一九―一五)

子游(しゆうが言いました。

「私の友、子張(しちょうは他人の到底できにくいことをやりとげる。しかし、外面のみに重きをおいているのでまだ仁とは言え太字ない」



九―六三(子張第一九―一六)

曾子(そうしが言いました。

子張しちょうは実に堂々としている。だが一緒に仁を行うのは難しい人間だ」



九―六四(子張第一九―二三)

の朝廷で大夫の叔孫武叔(しゅくそんぶしゅくが同僚たちに、

子貢しこうは孔子よりもすぐれている」

と語ったのを、同じく大夫の子服景伯(しふくけいはく子貢しこうに話した。は言いました。

「先生は大にして高い。これを屋敷にたとえると、私の塀は肩ぐらいまでの高さしかないので外から家の中をのぞける。しかし先生の塀は何丈もの高いものだから、門から入らなければ、容易にうかがい見ることができない。門から内に入らなければそのの建物の美しさも、居並ぶ百官の威儀も全く見ることができません。それに、その門を見つけられるのも少ないようですので、あの方、叔孫がそういわれるのも、いかにももっともですね」



九―六五(子張第一九―二四)

叔孫武叔(しゅくそんぶしゅくが孔子を謗ったので、子貢(しこうは言いました。

「むだなことです。先生はりようのないお方です。賢者といっても、他の人は丘のようなもので、まだ越えていくことができます。しかし、先生の高さは日月のようなもので、到底越えることはできません。誰かがその悪口を言ったりして、勝手に絶交しようとしても太陽や月にとって何のさしさわりがありましょう。ただ自分の身のほどしらずを見せつけるばかりです」

【故事ことわざ】

・人自(みずか)ら絶たんと欲すと雖(いえど)も、其れ何ぞ日月(じつげつ)を傷(やぶ)らんや。



九―六六(子張第一九―二五)

陳子禽(ちんしきんが子貢(しこうに言いました。

「あなたは謙遜しておられる。孔子があなたに勝るはずはありません」

子貢(しこう) がたしなめて

言いました。

「君子は一言で智者ともされ、一言で愚者ともされる。言葉は慎まなくてはならない」

さらに言葉ついでに言うには、

「先生には及びもつかないのは、天にハシゴをかけて上れないのと同じだ。仮に先生が国を治めたら、昔のことわざのように『人々を立たせれば立ち、導けば歩み、安らげれば集まり、励ませば応える』となるでしょう。そして生きているときは讃えられ、死んだときは悲しまれます。私などが及びつくものではありません」

               完結

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