2009年2月13日金曜日

■まごころ論語 第六巻

全巻を再編集 現代語訳論語


六―一(為政第二―一)

 孔子が言いました。

「政治を行うに徳をもってすれば、北極星が空の中央にいて星々がこれを巡ってい

るようなもので、国民はその徳を慕って為政者についていくだろう」



六―二 (為政第二―三)

孔子が言いました。

「法律いってんばりの政治でしばり、刑罰で統制していくなら、人民は法の網をく

ぐり抜けを恥としない。仁徳をもって導き、礼の教えにより整えれば、人民は道徳

的な恥を知って秩序正しくなる」



六―三 (里仁第四―一一)

孔子が言いました。

「上に立つ者が徳による政治を心がければ、下の民はその土地に安んじる。上に立

つ者が刑罰で治めることを思えば、下の民は恩恵にあこがれる」



六―四 (堯曰第二〇―一一)

孔子が言いました。

「資産をきっちり把握し、経営計画をしっかりしていけば政治はよく行われるであ

ろう。亡んだ国を復興させ、絶えた家がらを引き継がせ、隠れた賢人を用いれば天

下の人民はみな帰服するであろう。最も重んじなければならないのは、人民の衣食

住と冠婚葬祭である」



六―五 (季氏一六―二)

孔子が言いました。

「全国に道徳があれば、礼楽や出兵の命は天子から出て、天下に道徳がなければ、

諸侯から出る。政令が諸侯から出れば十代たってもまだ続くのは希である。政令が

重臣の手にわたれば五代続くのは希である。臣下が政権をとれば三代とは続きはし

ない。天下に道徳が行われれば、政権は重臣の手に落ちることがなく、人民が政治

について議論などしないであろう」



六―六 (学而第一―五)

孔子が言いました。

「国を治めるには、いかなる仕事でも敬いの心で慎重に行えば信頼される。ムダな

費用を節約して人々を慈しみ、人民を使うにも時期を選ぶことが大事である」



六―七 (泰伯第八―二後半)

孔子が言いました。

「上に立つ者が親族に手厚い態度で接したなら、人々は仁徳を重んずるようになる。

昔なじみを忘れなければ、人々はその感化により人情が厚くなる」



六―八 (学而第一―九)

孔子の弟子、曾子が言いました。

「上に立つ者が親を手厚く葬り、祖先を敬えば、 人々の徳もそれに感化されて重厚

になるであろう」



六―九 (子路第一三―六)

孔子が言いました。

「その身が正しければ、命令しなくても行われる。その身が正しくなければ、たと

え命令しても従わない」



六―一〇(子路第一三―一三)

孔子が言いました。

「上に立つ者がその身を正しくしていれば、命令するまでもなく人々は従うであろ

う。だがその身を正しくしなければ、いかに命令しようとも人々は従わない」



六―一一(子路第一三―一二)

孔子が言いました。

「もし偉大な君主が現れても、今の乱世では仁の世となるまでは、一世代の三十年

が必要となるであろう」



六―一二(子路第一三―一一)

孔子が言いました。

「善政が百年も続けば、凶悪な者を教化して死刑をなくすことができる、という言

葉はまことに正しい」



六―一三(顔淵第一二―一三)

孔子が言いました。

「訴訟をうまく処理することでは私も他の人と同じだ。強いて言うなら、それより

も訴訟が起こらないようにすることである」



六―一四(子路第一三―三〇)

孔子が言いました。

「訓練も施さず戦争にかり出すのは、負けるに決まっているから、人民を捨て去る

ようなものだ」



六―一五(子路第一三―二九)

孔子が言いました。

「普通の善人でも七年も教育すれば、人民を戦争に臨ませることもできる」



六―一六(泰伯第八―九)

孔子が言いました。

「民衆をよく導いてついてこさせることはできる。しかし、その意義を完全に理解

させることは難しい」

◆論語アレルギーの原点となる章句であるが、「知らししむべき」を「知らせ

 るべきでない」とする解釈は漢語解釈上の誤りである。



六―一七 (衛霊公第一五―三五)

孔子が言いました。

「人間にとって仁徳は水や火よりも重要である。だが、私は水や火に入って死ぬ者

は見たことがあっても、仁に踏み込んで死んだ者を見たことはない」     

 

      

六―一八(里仁第四―七)

孔子が言いました。

「人の過ちはそれぞれの人間のレベルが反映される。だから、過ちを観ればその人

間のレベルが分かる」



六―一九(憲問第一四―四四)

弟子のが上に立つ者の心得を尋ねた。孔子は言いました。

「慎んで修養に努めることだ」

「それだけですか」

「我が身を修め、そして人民の暮らしを安定させることだ」

「それだけのことですか」

「己を正しくして、人民の暮らしを安定させることは、あの帝でさえも苦

心して努めたものだ」



六―二〇(雍也第六―三〇)

弟子のが言いました。

「もし広く民に施して大衆を救うことができたら、どうですか仁といえますか」

孔子は言いました。

「それは仁者どころか聖人と言えよう。あのでさえもそれは苦心したも

のだ。そもそも仁者とは、自分がある地位に立ちたいと欲すれば、まず人をたてる。

自分がそのレベルに到達したいと欲すれば、まず人を到達させる。このように、近

く自分の身に引き比べて他人の欲するところを知ることが仁者の心がけである」



六―二一(憲問第一四―六)

魯の家老が孔子に質問しました。

「昔、は弓の名人で、は陸地で舟を動かすほどの力持ちであったが、いずれも

非業の死を遂げました。これに反し、は自ら田を耕していたが、ついに天下

を得ました、これはどうでしょうか」

これは当時の有力者をにたとえ、孔子をにたとえたのであるから孔

子はそれに答えなかった。家老が出ていくと、

「彼は本当に君子だ、心から徳をんでいる」



六―二二(顔淵第一二―七)

弟子のが政治のことを質問しました。孔子は言いました。

「食料の確保、軍備の充実、人民の信頼、この三つだよ」

「もしやむを得ず三つの内の一つを捨てるとしたら、どれが先ですか」

「軍備を捨てる。食料と信頼とがあれば軍備がなくても国は守れる」

「もしやむを得ず、残り二つの内のいずれかを捨てるとするなら、どれですか」

「食料を捨てる。人間は皆いつかは死ぬものだ。しかし信頼は社会存立の基礎であ

り、これが失われたら政治は成り立っていかない」

                                     

                                     

  

六―二三(子路第一三―二)

弟子のの宰相となり政治を質問しました。孔子は言いました。

「まず人事を先にし、小さな過ちは許し、人材を引き立てることである」

「どうしたら人材を見抜き、引き立てることができますか」

「お前の目に止まった者を引き立てればよい。その方針が分かれば、お前の知らな

い人材は他人が見つけてどんどん推薦してくるものだ」



六―二四(子路第一三―一)

弟子のが政治を質問しました。孔子は言いました。

「率先垂範して行動し、骨を折ることだ」

もっと進んで教えを請うと、答えました。

「飽きて投げてはいけない、最後までやることだ」



六―二五(子路第一三―一七)

弟子のがある町の代官となり政治を質問しました。孔子は言いました。

「あせってはならない、速成を望めば本物の境地まで達することができない。目先

の利益に惑わされると大事を成し遂げることができない」



六―二六(子張第一九―一〇)

が言いました。

「上に立つ者は、まず人民の信頼を得てからその人民を使う。さもなければ人民は

自分達がいじめられていると思うものだ。主君を諫めるには信用されてはじめて諫

める。信用されていないのに諫めると主君はけなされていると思うものだ」



六―二七(顔淵第一二―一四)

弟子のが政治を質問しましました。孔子は言いました。

「政務に励んで怠ることなく、職務に当たってはまごころを込めて行うことだ」



六―二八(雍也第六―二二)

弟子の礬遅(はんち)が智のことを質問しました。孔子は言いました。

「人間としての義務を果たし、神仏は敬うが遠ざける。これが知恵である」

さらに仁を尋ねると、孔子は言いました。

「仁というものは、人に先んじて難事ををやり遂げ、人よりも遅れてその利を得る。

それでこそ仁といえる」



六―二九(顔淵第一二―二十二)

礬遅(はんち)が仁を質問しました。孔子は、

「人を愛することだ」と言いました。さらに智を聞くと、

「人を知ることだ」

と言いました。しかし礬遅(はんち)はまだよく分からなかった。孔子は続けて、

「真っすぐなものを曲がった者の上に置けば、その曲がった者を真っすぐにするこ

とができる」

と言った。礬遅(はんち)は退出して子夏(しか)に会い、

「先ほど私は先生に智を聞いたが『真っすぐな者を曲がった者の上に置けば、曲が

った者を真っすぐにすることができる』と言われました。どういう意味ですか」

子夏(しか)が答えて言いました。

「何と意味深いお言葉だろう! 舜(しゅん)が天下を取ったとき、大勢の中から皐陶(こうよ

う)を選んで上に置いたら、不仁の者達は遠ざかった。湯(とう)が天下を取ったとき、多く

の中から伊尹(いいん)を選んでを上に置いたので、不仁の者は遠ざかった。このことを言っ

ているのだ」



六―三〇(子路第一三―四)

礬遅(はんち)が穀物の栽培を教えていただきたいと申し出たが、孔子は、

「五穀のことは、私は老農夫には及ばないよ」

と言いました。それでは野菜の栽培を教えていただきたい、と言ったら、

「私は野菜づくりでは、ベテランの農家には及ばないよ」

と言われた。が下がった後、孔子は言いました。

「礬遅(はんち)は何と人物が小さいことか。上に立つ者が礼を好めば人民は皆尊敬し、上の

者が正義を愛すれば人民は皆従うし、上の者が信義を重んずれば人々は皆誠実にな

る。そうなれば周辺の国の民が子供を背負ってでも集まってくる。何も政治家が農

業を習うことはあるまい」



六―三一(顔淵第一二―一一)

斉(せい)の景公(けいこう)が政治を質問しました。孔子は言いました。

「主君は主君らしく、家臣は家臣らしく、父親は父親らしく、子供は子供らしくす

るものです」

「よくぞ言われました! もし主君が主君らしくなく、家臣が家臣らしくなく、父

親が父親らしくなく、子供がが子供らしくなくなったら、食料があっても、私はど

うして食べていられるだろうか」



六―三二(八?第三―一九)

魯(ろ)の定公(ていこう)が質問しました。

「私は家臣に対しどんな態度をとったらよいだろうか。家臣にどう仕えさせたらよ

いだろうか」

孔子は言いました。

「主君は礼法をもって家臣に接することです。そうすれば家臣は主君に誠意を尽く

すようになるでしょう」



六―三三(子路第一三―一五)

魯(ろ)の定公(ていこう)が質問しました。

「ひと言で国を興すような言葉、国を滅ぼすような言葉がありますか」

孔子は言いました。

「言葉とはそのようなものではありませんが、やや近いものはあります。人の言葉

に、『君主になることは難しく、家臣になることも容易ではない』とありますが、

君主であることの難しさが分かれば、一言で国を盛んにすると言えるでしょう」

「また誰かが『私は君主になっても少しも楽しくない。ただ私の言ったことに逆ら

う者がいない、というだけが楽しい』と言ったとします。もし君主が正しくても誰

も逆らわないなら、それでよろしいでしょう。しかし、もし君主が間違っているの

に誰も逆らわなければ、その一言は国を亡ぼすでしょう」



六―三四(子路第一三―一六)

葉(よう)の新しい領主が政治を質問しました。孔子は言いました。

「近くの領民が喜ぶようにすれば、遠くから人民が集まってきます」



六―三五(子路第一三―一八)

葉公(ようこう)が孔子に語って言うには、

「私のところに直躬(ちょくきゅう)という正直者がいて、自分の父親が羊を盗んだのを息子

が訴え出たほどだ」

孔子は言いました。

「私のところの正直者はそれと違っています。父親は子供の為に隠し、子は父の為

に隠してやりますが、正直はその中にあるのです」



六―三六(顔淵第一二―一七)

魯の筆頭家老の季康子(きこうし)が政治を質問した。孔子は言いました。

「政治とは正ということです。あなたが率先して正しくすれば、誰もが正しくなろ

うと努めるでしょう」



六―三七(顔淵第一二―一八)

季康子(きこうし)が盗賊の多いことに頭を痛めて孔子に質問した。孔子は言いました。

「為政者のあなた自身が我欲から離れるなら、たとえ賞金を出しても盗みを働く者

はでないでしょう」



六―三八(顔淵第一二―一九)

季康子(きこうし)が孔子に政治を質問して言いました。

「もし悪人を死刑に処して、法の見せしめにするのはどうでしょうか」

「政治をなさるのにどうして殺す必要があるのです。あなたが本当に善を欲すれば

人民は善に教化されます。民を治める者の徳性は風であり、人民の徳性は草です。

善性の風を送れば、人民の草は必ずこれに従ってなびくのです」



六―三九(為政第二―二〇)

季康子(きこうし)が質問した。

「いかにすれば人民は上を尊敬して忠誠を尽くし、勤勉に励むようになりますか」

孔子は言いました。

「上に立つ者は威厳のある態度で臨めば人民から尊敬されます。親に孝行し、人々

に思いやりをもてば人民は忠実となります。善人を引き立て、能力の足りない者を

よく教えていけば人民は勤勉になります」



六―四〇(為政第二―一九)

魯(ろ)の哀公(あいこう)が質問した。

「どうすれば人民は私の命令に従うようになるのでしょうか」

孔子は言いました。

「真っ直ぐな者を登用し、曲がった者の上役におけば人民は命令に従うようになり

ます。曲がった者を真っ直ぐな者の上役に置くと、人民は命令に従わなくなります」



六―四一(顔淵第一二―九)

哀公(あいこう)が孔子の弟子、有子(ゆうし)に質問した。

「凶作で歳入が足りない。どうしたらよいでしょうか」

有子(ゆうし)は言いました。

「どうして一割に減税しないのですか」

「今の二割でさえ不足なのにどうして一割に減らせるものですか」

「人民の生活が満ち足りているのであれば、殿様はどなたとご一緒に不満足になる

のですか、人民が不満足に暮らしている時に、殿様はどなたとご一緒に満足なさる

のですか」



六―四二(子張第一九―一九)

曾子(そうし)の門人の陽膚(ようふ)が司法官になった時、曾子(そうし)に質問したの

で曾子(そうし)は言いました。

「政治がよくなかったため人民が離散して長いことになる。犯罪を糾明しても、悲

しみと憐れみの心を持つことだ。得々と喜んではならないぞ」



六―四三(泰伯第八―四)

孔子の弟子曾子(そうし)が危篤になり、修養の足りない魯(ろ)の家老孟敬子(もうけい

し)が見舞いに行ったとき、曾子(そうし)は言いました。

「死が迫った鳥の鳴く声は哀しく、死の間際の人の言葉は誠と言います。よくお

聞き下さい。上に立つ者が日頃から心がけることが三つあります。立ち居振る舞い

にしないこと。穏やかな表情でまごころを込めること。言葉づかいを下品に

しないこと。これがまことの礼法であって、祭事の供え物などは担当の係にまかせ

ておけばよい」



六―四四(里仁第四―一〇)

孔子が言いました。

「君子が世の中に対するには、好き嫌いの感情で判断してはいけない。自我を捨て

ただ正義にかなっているかどうかで判断する」



六―四五(子張第一九―一三)

孔子の弟子、子夏(しか)が言いました。

「仕官して余力があれば学問することだ。学問して余力があれば仕官することだ」



六―四六(泰伯第八―一三)

孔子が言いました。

「信念を持ち、学問を好み、生涯にわたり道を求める。乱れかけている国には入ら

ず、また既に乱れている国にはとどまらない。道徳が行われている国ならば出て活

動し、道徳が行われていない国であれば隠れるがよい。道徳が行われている国なら

ば貧乏で低い地位にいるのを恥とし、道徳が行われてない国であれば高給で高い地

位にいるのを恥とする」



六―四七(憲問第一四―四)

孔子が言いました。

「道徳が行われている国であれば厳しく意見を言い、正しく行動する。道徳が行わ

れていない国であれば正しく行動し、穏やかにものを言う」



六―四八(憲問第一四―一)

弟子の原憲(げんけん)が恥について尋ねた。孔子は言いました。

「道徳が行われている国であれば仕えて報酬を受けるが、道徳が行われていない国

で報酬を受けるのは恥である」



六―四九(憲問第一四―二三)

孔子の弟子の子路(しろ)が主君に仕える心得を質問しました。孔子は言いました。

「人に仕えるにはまごころをもって仕えよ。飾り偽りで欺いてはならない。顔色を

伺うことなく面と向かって率直に忠言すべきである」



六―五〇(衛霊公第一五―三八)

孔子が言いました。

「主君に仕えるには、まず職務に励むべきで、報酬はそれからのことである」



六―五一(季氏第一六―六

孔子が言いました。

「目上の者に対する発言で、注意すべきことが三つある。まだ口を出すべきでない

時にものを言うのを『軽はずみ』といい。もう言わなければならないのに黙ってい

るのを『隠しだて』といい。相手の顔色や気持ちなどにかまわずものを言うのを『目

が不自由な者』という」



六―五二(里仁第四―二六)

孔子の弟子、子遊(しゆう)が言いました。

「主君に仕えてあまりうるさく進言すると辱めを受けることになり、友人にくどく

ど忠言すると疎遠にされるようになる」



六―五三(八?第三―一八)

孔子が言いました。

「主君に礼を尽くして仕えていると、往々にして人からおべっかいと見られる」



六―五四(衛霊公第一五―四一)

孔子が言いました。

「言葉は、意志を相手に正確に伝えればそれでよい、やたらに飾ったり、長々と語

ることは好ましいことでない」



六―五五(為政第二―一八)

弟子の子張(しちょう)が仕官を求めるにはどうしたらいいか質問しました。孔子は言いまし

た。

「多くを聞いて疑わしいものはやめ、それ以外の自信のあることを慎重に言えば、

過ちは少なくなる。多くを見てあやふやなことはやめ、それ以外の確実なことを慎

重に実行していけば、後悔は少なくなる。言葉に過ちが少なく、行ないに後悔が少

なければ、仕官はそこに自然に得られるものだ」



六―五六(子罕第九―三一)

孔子が言いました

「共に学べる人でも、同じ道を求めて進むとは限らない。共に道を求めて進んでも、

共に正しい生き方を確立できるとは限らない。共に正しい生き方を確立できても、

共にものごとの時宜に応じた計らいができるとは限らない」



六―五七(陽貨第一七―一五)

孔子が言いました。

「下劣な人間には主君に仕えることはできないだろうな。なぜなら、地位につかな

いうちはなんとかして地位を手に入れようと気にかけるし、地位についたらこんど

は地位を失うことを心配する。そして、もし失うことを心配しだしたらどんなこと

でもやりかねないから」



六―五八(泰伯第八―一〇)

孔子が言いました。

「勇を好み貧乏を嫌う者は、無理に貧乏から抜け出そうとして乱暴をする。不仁の

者も憎まれすぎると、自暴自棄になって乱暴をする」



六―五九(泰伯第八―一四)

孔子が言いました。

「その地位にいるのでなければ、その政務に口だしすべきでない」



六―六〇(憲問第一四―二八)

孔子の弟子、曾子(そうし)が言いました。

「君子は自分の職分を越えたことは考えない」




第6巻 終り

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