2010年11月2日火曜日

■まごころ論語第四巻




□四―一(衛霊公第一五―二九)
 孔子が言いました。
「人が道徳を広めて行くことができるのであって、徳目がいくらあっても自然に人の間に広まるわけではない。」



□四―二 (為政第二―二二)
  孔子が言いました。
「人の世は信用がなければ成り立っていけない。立派な馬でも、馬車のと横木をつなぎ合わせる留め金がなければ、どうして馬を走らせることができようか。人の信義はこの留め金と同様、いくら才能があっても、いかなる立場にいても信用がなければ世に立っていけない。」



□四―三 (学而第一―一三)
  孔子の弟子、が言いました。
「道理にかなった約束であればその約束を実行するのだ。丁重な態度をとっても、礼法にかなっていれば、恥をかいたりしない。人を頼るにしても、最初に相手の人柄を選び、親しみ方をとり違えないことが大切である。」

□四―四 (雍也第六―一九)
  孔子が言いました。
「人の生き方は、正直まっすぐであればとで安らかなものである。曲がって生きているのはまぐれというものだ。」



□四―五(衛霊公第一五―二五)
  孔子が言いました。
「私は人をことさら良くも悪くも言わない。もし誉めるとすればそれははっきり試したうえでのことだ。今の人々もと理想の三代の人と同じ良心もあれば
徳性もある。だからこれを発揮させ良民たらせるべきで、むやみにこれを良くも悪くも言ってはならない。」


□四―六(憲問第一四―三六)
  ある人が質問しました。
「徳をもって怨みに報いたらどうですか。」
 孔子は答えて言いました。
「そうしたら何をもって徳に報いるのだ。」
  そして続けて言いました。
「まっすぐな正しさで怨みに報い、徳をもって徳に報いるべきだ。」

□四―七 (子路第一三―二四)
  弟子のが質問しました。
「土地の人がみな誉めるような人はどんなものでしょうか。」
  孔子は答えました。「まだ十分ではない。」
「土地の人みなからまれるのはどうですか。」
「それもよくない。その土地の善人からは好かれ、善くない人達からは嫌われるという人間でなくてはならない。」



□四―八 (陽貨第一七―一三)
  孔子が言いました。
「八方美人は一見誠実そうに見えるが、むしろ徳を損なう偽善者である。」



□四―九 (為政第二―二四の後半)
  孔子が言いました。
「これが人間としての正義と知りながら、自分の利益、保身のために行動しない。それは勇気ない者である。」

□四―一〇 (先進第一一―二〇)
  弟子のが人物としての行いを聞くと、孔子は言いました。
「生まれつきの人物は道を学ばずとも堂に入ったよい行いをする。しかしそれだけでは奥義に達した高いレベルの行いはできない。」




□四―一一(陽貨第一七―一二)
  孔子が言いました。
「うわべだけは厳然と構えて、その心が卑しいのはくだらない人間の中でも、まあコソ泥のようなものだ。」




□四―一二(為政第二―一〇)
 孔子が言いました。
「その人の行動を見て、その行動の動機を観察し、その行為に安んじているかどうかを察すれば、必ずやその人の正体が明らかになるものだ。」




□四―一三(衛霊公第一五―四〇)
  孔子が言いました。
「進む道が同じ方向でなければ、共に語り合ってもどうにもならない。」




□四―一四(里仁第四―二五)
  孔子が言いました。
「徳を行っている限り、人は決して孤立はしない。必ず共鳴する仲間が現れるものだ。」









□四―一五(顔淵第一二―五)
  孔子の弟子、が悲しんで言いました。
「人はみな兄弟があるのに私には無くなってしまった。」
  相弟子のが慰めて言いました。
「『生死も富貴もすべて天命による』という言葉があります。また『立派な人間が慎んで過ちなく、まごころを尽くしてつき合えば、世の中みな兄弟である』とも言います。立派な人間は兄弟のないことを嘆く必要はありません。」



□四―一六(衛霊公第一五―八)
  孔子が言いました。
「相手と言葉を交わす機会があったとき語らなければ人物を失い。言葉を交わしてはならないときに口を出すと失言の過ちを犯す。智者はそのような愚はしないものである。」



□四―一七(里仁第四―一)
  孔子が言いました。
「まごころを大切にする生き方は美しい。心の奥から出てくるまごころを大切にする生き方を追求する者、これぞ人物と称されるのだ。」


□四―一八 第一五―四)
  孔子が嘆いて弟子のに言いました。
「徳をわきまえる人間が少なくなったものだ。」



□四―一九 (雍也第六―二九)
  孔子が言いました。
「片寄らず常にかわりないことが中庸である。この中庸の美徳はまさに最高といえる。しかし永らくこれを守って実行する人の少なくなったのは嘆かわしい。」





□四―二〇 (子路第一三―二一)
  孔子が言いました。
「中庸を得た人を仲間とするのが第一である。第二に選ぶとすれば熱狂的な人である。熱狂的な人は実行は伴わないが、進取の気風がある。第三にはガンコ者
である。ガンコ者は志操堅固で悪いことは断じてしない人だ。過熱狂的な人は過ぎ、ガンコ者は及ばないが、教育すればなお大成の見込みはある。」




□四―二一 (泰伯第八―一六)
  孔子が言いました。
「情熱的でありながら率直でなく、無知でありながら真面目さがなく、愚鈍でありながら誠実でない。せめて片方だけでもあればなんとかなるが、悪徳の両面を持っていれば、私としても手のつけようがない。」



□四―二二 (陽貨第一七―一六)
  孔子が言いました。
「昔人間には三種類の変わり者があったが、今はそれすらいなくなった。昔の熱狂家は信念を貫いたが、今の熱狂家は暴れるだけだ。昔の硬骨漢は自分を厳しく律したが、今の硬骨漢はすぐけんかをする。昔の愚かな者は正直だったが、今の愚かな者は見え透いたうそをつく。」




□四―二三 (公冶長第五―二七)
  孔子が言いました。
「情けないことだ、自分で過ちを認め、自分で心に責めることのできる者が見あたらない。」

□四―二四 (衛霊公第一五―一三)
  孔子が言いました。
「本能である強い色欲ほどに、徳を好む者はいないものだろうか。」


□四―二五 (憲問第一四―一一)
  孔子が言いました。
「貧乏をして怨み言を言わないのは難しいが、金持ちになって威張らないのはやさしい。」


□四―二六 (学而第一―一五)
  金持ちとなった弟子のが聞きました。
「貧乏でも卑屈にならず、金持ちでもにならない、というのはどうですか。」
  孔子はまだ貧富のワクから脱しきれない弟子にあえて言った。
「よろしい。しかし貧しくて道を楽しみ、富んで礼法を好むのには及ばない。」
「それは詩経の『玉を仕上げるのに、刃物で切り、ヤスリですり、さらに砂で磨きをいれるように、いよいよ修行に励んで立派にしていく。』という切磋琢磨という心ですか。」
、それでこそお前とは詩を語ることができる。一を言えば二が分かる。」

□四―二七 (述而第七―三五)
  孔子が言いました。
「ぜいたくしているとになり、倹約しすぎると頑固になる。二者ともに中庸を得ないものであるが、私は不遜よりはむしろ頑固をとろう。」


□四―二八 (里仁第四―二三)
  孔子が言いました。
「言葉でも、物でも、控えめにすれば間違いが起こることが少ないものだ。」



□四―二九 (学而第一―三)
  孔子が言いました。
「顔つきがやわらかく口先だけの人は、うわべのみを飾り、人間愛が少ないものである。」



□四―三〇 (子路第一三―二七)
  孔子が言いました。
「強い意志と決断力を持ち、しかも飾り気なく素朴で、ことば数が少ない人は、だいたい仁者に近い人である。」

□四―三一 (衛霊公第一五―二七前半)
  孔子が言いました。
「言葉が巧みなのは、よく品徳があるのと混同される。実行の伴わない巧みな言葉は、ややもすると人間の徳を乱すものだ。」


□四―三二 (里仁第四―二二)
  孔子が言いました。
「昔の人が軽々しくものを言わなかったのは、行いが及ばないことを恥じたからである。」


□四―三三 (顔淵第一二―三)
  そそっかしい弟子のが孔子に仁を質問した。孔子は言いました。
「仁の者は言葉を控えめにするものである。」
「言葉を控えれば仁と言えるのですか。」
「実行がたやすくないことを知れば、言葉は控えないわけにはいかないのだ。」
                                                                   


□四―三四 (憲問第一四―二一)
  孔子が言いました。
「実行が出来ないことを大言して恥じないようでは、まあ実行もおぼつかないな。」

□四―三五 (憲問第一四―五)
  孔子が言いました。
「徳のある者には必ず立派な言葉があるが、立派な言葉を口にしても必ずしも徳があるわけではない。徳のある人は私心がなく、義を見ては必ず行う勇気のあるものだ。しかし勇気のある者に必ずしも仁があるとは言えない、血気の勇というのもあるからである。」



□四―三六 (憲問第一四―三五)
  孔子が言いました。
「昔の名馬『』が名馬たるゆえんは、むろん力も優れているが、その力だけではなく、よく育てられたその馬の徳性のためである。」

□四―三七 (里仁第四―四)
  孔子が言いました。
「いやしくも少しでも仁に志せば、悪いことはしなくなるものだ。」


□四―三八 (里仁第四―三)
  孔子が言いました。
「ただ仁者だけは我欲がないため、本当に人を愛し、本当に人を憎むことができる。」




□四―三九 (里仁第四―六)
  孔子が言いました。
「不仁を憎むほどに仁を好む者はなかなか見あたらない。仁を好む者はそれにこしたことはないが、不仁を憎む者もその実、仁といえる。不仁の影響を受け入れないからだ。そして少なくともその一日くらいは仁に務めるだろう。それほどの力さえない者など見たこともないし、仮にいたとしても私はまだ会ったことがない。」




□四―四〇 (里仁第四―二)
  孔子が言いました。
「不仁の人は長く逆境に耐えられず、また長く順境を楽しむこともできない。仁者は仁の道で安心を得る。知者は仁を利用する。深浅の差はあるが、どちらも守りどころがあって動かない。」


□四―四一 (雍也第六―二三)
  孔子が言いました。
「智者は流れて止まぬ水を楽しみ、仁者は不動の心ゆえ山を楽しむ。知者は機を見て状況に応じて動き、仁者は不動の態度で静かである。知者は世相に誤りなく対処し楽しんで生き、仁者は安心立命で自ずから長生きする。」



□四―四二 (述而第七―二五)
  孔子が言いました。
「聖人に会えなくても人物に会えればいい。人物に会えなくても信念の強い人に会えればよい。無いものを有るように見せ、空っぽなのを満ちているように装い、困っているのに安泰なように見せかける。こんな当世の気風では不動の信念を持つこ
とがいかに難しいことであろうか。」



□四―四三 (季氏第一六―一一)
  孔子が言いました。
「『よいことを見たら取り逃がしはしないかと懸命に追い求め、不善を見たら熱湯から手を引くように避ける』、私はこういう人を見たこともあれば、その言葉も聞いている。しかし『この世から隠れてその志を貫き、正義を行ってその道を通すという者』は、その言葉は聞いてもそんな人は見たことがない。」

□四―四四 (顔淵第一二―一)
  弟子のが孔子に仁を質問しました。孔子は言いました。
「人間で有れば欲が出るのが天の道である。その我欲に打ち克つて礼法の基準に従うのが人の道である。 仁を行うのは自分次第だ。どうして人だのみできようか。」
「どうぞ、その要を教えて下さい。」
「礼法に合わなければ見ない、礼法に合わなければ聞かない、礼法に合わなければ言わない、礼法に合わなければ行わない。」
「ふつつかながら私は、このお言葉をいただいて一生実行に努めます。」





□四―四五 (顔淵第一二―二)
  弟子のが仁を孔子に質問しました。孔子は言いました。
「誰に対しても高貴な人と接するようにうやうやしくする。人々を使う時には国家の祭典を行うように深く慎んでする。そして自分の欲しないことを人にしてはならない。そうすれば仕事でも私事でも人間関係を損なうことはない。」
「私はふつつかながら、このお言葉を拝受して実行に努力します。」





□四―四六 (衛霊公第一五―一〇)
  弟子のが仁徳の修め方について尋ねた。孔子は答えました。
「名工が仕事をするには、まず先に道具を研ぐものだ。そのように人生を磨くためには、まず賢者にお仕えし、仁徳のある者を友とすべきである。」



□四―四七 (憲問第一四―二)
  弟子のが尋ねました。
「勝ちたがったり、自慢したり、怨んだり、欲張ったりすること、これらがすべて抑えられたら仁といえますか。」
  孔子は答えて言いました。
「なしがたい事とは言える。だがそれは己に克つことだけであり、それだけでは仁といえるかどうか。」




□四―四八 (子路第一三―一九)
  弟子のが仁を尋ねた。孔子はこう答えました。
「いかなる地位にあっても日常のふるまいは謙虚で、いかなる事を処するにも心を込め、いかなる人に対してもまごころを尽くすべきであることは、たとえ野蛮な国に行っても変わりがあってはならない。」

□四―四九 (顔淵第一二―二一)
  弟子のが孔子のお供をして、い台のある公園に遊んだとき尋ねました。
「恐れ入りますが、詩経の『徳を高め、邪気を除き、惑いを見分ける』というのはどういう意味でしょうか。」
  孔子は言いました。
「いい質問をした。まず努力をして事をなしとげ、報酬を後にすれば徳を高めることになるではないか。自分の欠点は責めるが、他人の欠点を責めなければ己の心の邪気を除くことになるではないか。一時の怒りにかられて我が身を忘れ、そのため親族にまで災いを及ぼす、これこそ迷いではないか。」







□四―五〇(顔淵第一二―一〇)
  弟子のが『徳を高め、迷いを見分ける』という格言の意味を尋ねました。
  孔子は答えて言いました。
「誠の者に親しみ、義に従うのが徳を高めることである。その人を愛すれば長く生きることを願い、憎めば早く死ぬことを望む。生きていて欲しいと思ったり、早く死ねばよいと思ったりする、それが迷いである。」


□四―五一(衛霊公第一五―六)
  がどうしたら世に通るかと尋ねた。孔子は言いました。
「言葉にまごころがあり、行動は実直で慎重であればどんな野蛮な国にいっても通る。もし言葉にまごころがなく、行いも慎み深くなければ、人は我を信用せず、自分の町でさえも通らない。立てば真っ直ぐ正面を向き、車に乗れば姿勢を正して座るように、常に誠を行うような心がけがあれば、みんなから受け入れられどこでも通じるものだ。」
  はこの言葉を広帯の端に書きつけた。





□四―五二(子罕第九―二六)                                     孔子が言いました。
「大軍の総大将でさえも捉えることはできるが、どんな凡人でも、不動の信念を持っていれば、みだりにその志を奪うことはできない。」








□四―五三(里仁第四―五)
  孔子が言いました。
「財産や高い身分は人の欲するところであるが、学を修め功を立て、身を修め徳を備えた上で得るのでなければ保っていけない。貧乏や低い身分は人の嫌うところであるが、非行によって陥ったものでなければ、あえて避けない。立派な人間は仁を離れて名声を得ようとはしない。君子は日常茶飯の間も人間愛に違わず、緊急のときも人間愛を忘れず、倒れたときにも人間愛に従う。」                                 





□四―五四(衛霊公第一五―二四)
  弟子のが尋ねました。
「ひとことで一生涯行なえるような教えがありますか。」
  孔子はこう答えました。
「それは『思いやり』ということだ。自分にして欲しくないことは人にしてはなら
ない。」





□四―五五(里人第四―一五)
  孔子が弟子のに言いました。
 「私が説いてきた道は『一』を以て貫かれている。」
  曾子は
「はい」
  と答えた。孔子が出ていくと門人たちがその意味を聞いた。曾子は言った。
「先生の道は『まごころ』と『思いやり』に他ならないのです。」




□四―五六(衛霊公第一五―三六)
  孔子が言いました。
「仁を行うに当たっては、恩師にさえ遠慮して譲ることはない。」



□四―五七(衛霊公第一五―九)
  孔子が言いました。
「信念の人や仁の人は、命惜しさに仁徳を害するようなことはしない。時には命を捨てても仁徳を成しとげる。」


□四―五八(雍也第六―一七)
  孔子が言いました。
「誰が玄関を通らずに外に出ていけるのか、人として生きていくのにどうしてこの仁の道を通る者がいないのだろうか。」


□四―五九(里人第四―八)
  孔子が言いました。
「もしも朝に真実の人の道「を聞き、これを会得したならば、その夕べに死んだとしてもそれで悔いはない。」

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