第二巻 学びの心
□二―一(第一―一)
孔子が言いました。
「学んでは身近なことから実行し、そしてまた自ら考えていけば正しく行動出来るようになる、なんと喜ばしいことではないか。
人間として成長するにつれ、共鳴する友が遠方からも訪れて来る、これまた楽しいことではないか。
仮にまた、人に認められなくても、天もまず人をもまず、信じるところに向かって行動するとすれば、これぞ君子というものではないか」
(*この章が「小論語」といわれる)
□二―二(第七―六) 孔子が言いました。 「君子はまず道を修めるという志をたてよ。わが身に修めた徳を根拠とし、徳の中でも最も重要な仁にのっとり、私欲を離れ精進すれば、いつかは心の徳が完成し、何をしても身内の徳が外に輝きだすようになる。
その上で学問や、技術などを勉強すれば、それらの学問にゆとりができ、楽しみの中で行うことができる」
□二―三(第七―二四) 孔子は四つのことによって教育した。
それは、学問と実践、誠と信義である。
□二―四(学而第一―一四)
孔子が言いました。 「君子は美食を求めず、良い家に安住することを求めない。
行動はすばやく、言葉は慎重にし、
なおかつ徳ある者について身を正す。それでこそ学問好きの人物といえよう」
□二―五(第四―一七) 孔子が言いました。 「すぐれた人を見ては、どうかしてその人にあやかりたと思い。愚劣な者を見れば自分もそんなところがあるのではないかと反省とする」
□二―六(述而第七―二一) 孔子が言いました。 「三人で同じ行動をとれば、必ずとして学ぶべき人がいる。よい人にはあやかり、悪い人は反面教師とするからだ」
□二―七(第九―二四) 孔子が言いました。 「筋の通った言葉には逆らうことはできまい。だがそれで行いを改めるのが大切だ。優しい言葉には嬉しがらずはいられない、だがその言葉の真意を汲むのが大切だ。いい気持ちになって深く考えもせず、口だけ服従しても行いを改めないのでは、私にはどうしようもない」
□二―八 (第一九―七)
孔子の弟子のが言いました。
「職人達が、その仕事場でして物を作り上げるように、君子は学問によってその道を究めるものだ」
□二―九(子張第一九―六)
孔子の弟子のが言いました。
「博く学んで志を固め、自分に切実な問題として実践究明し、問題は自分の身近なことして考えていけば、人間として守るべき仁の道を会得することができる」
(*「博学」、「篤志」、「切問」、「近思」)
□二―一〇(第二―一七)
孔子が、負けず嫌いで、知らないことも知った顔をする癖のに言いました。
「お前に本当の知るということを教えよう、 知っているを知っているとし、知らな
いことは知らないとする、これが本当の知るということである」
□二―一一(衛霊公一五―三一及び学而第一―八)
孔子が言いました。
「私はかって一日中食事をとらず、一晩中寝ないで考えたことがあるが、なんら得ることがなかった。く学んほうがよい。学べば頑固になることがない」
□二―一二(為政第二―一五)
孔子が言いました。 「ただ学ぶだけで身近なこととして深く考えなければ、身についた学問にならず深く理解できない。ただ考えるだけで、学ばなくては、独断にって危険である」
□二―一三(為政第二―一六) 孔子が言いました。
「真理にそぐわない学説を研究することは、修養上には害のみである」
□二―一四(衛霊公第一五―三九)
孔子が言いました。 「人間のレベルは教育・修行次第であって、生まれつきによるものではない」
(*芸術に必要な「」は生まれつきだけでなく、教育(の書を読み、
万里の道を歩き、胸中の塵やよごれをとり除けば)によっては可能である)
(薫其昌)
□二―一五(第一七―二)
孔子が言いました。
「人の生まれつきはみんな同じようなものだ、しかし習慣によって大きく異なって
くるものだ」
(*「性」人が天から与えられたいのちを表す言葉。「習」とは習慣。
『習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる』 )
□二―一六(陽貨第一七―三) 孔子が言いました。 「ただ生まれつきの聖人のような人と、全く学ぶ意志のない最下等の者とでは、どうやっても移し変えることはできない」
□二―一七(第六―二一) 孔子が言いました。 「中から上の人間にはハイレベルのことを語れるが、中以下の人間にはハイレベルのことを語っても理解ができないから無駄である」
□二―一八(季氏第一六―九)
孔子が言いました。
「生まれながらにして物事を知っているのが最上である。学んでからそれを知った
者が次である。困ってからそれを学ぶ者はその次である。困っても学ぼうとしない
者、これは最下等の人間である」
□二―一九(第六―二〇)
孔子が言いました。
「何事をやるにしても、ただそのことを知っているだけの人は、それが好きな人には及ばない。それが好きな人も、そのことを楽しむ人には及ばない」
□二―二〇 (述而第七―八)
孔子が言いました。
「考えつめてもだえるほどの情熱がなかったら、教えてもムダである。口にこもって言えないほどでなければ助けない。四角なものの一隅について教えた時、三つをもって返すようでなければ、何を教えても無駄である、その必要ない」
□二―二一(衛霊公第一五―一六)
孔子が言いました。
「これをどうしよう、どうしたらいいかと自問しないような人は、私にはどうしよ
うもない」
□二―二二 (泰伯第八―一七)
孔子が言いました。
「学問の心構えは、一生懸命追いつこうと努力し、それでも取り逃がしはしないか
と思って励むことだ」
□二―二三 (子張第一九―五)
孔子の弟子、が言いました。
「日々にまだ知らぬことを学び、月ごとにその覚えたことを忘れまいとする。それでこそ学問を好む者と言えよう」
□二―二四(子罕第九―一九)
孔子が言いました。 「たとえば山を築くのに、あとで出来上がるのに、中止して功を成し遂げなければ自分の努力不足である。たとえば土地をすのに、の土でもさらに運ぶなら、ついには仕事を成し遂げるであろう」
□二―二五 (子罕第九―三二)
『からざくら あでに咲けども 何かせむ 道の遠く 思いあせれど。』
という歌があるのを、孔子は言いました。 「これでは、まだ本当に愛しているとは言えないのだ。本当に愛しているなら、どこであろうと遠いことがあるものか。仁も同じことである」
□二―二六(子罕第九―二二)
孔子がの早く亡くなったのを惜しんで言いました。 「苗のように芽が出ても花が咲かない人もいる。花が咲いても実のならない人もいる」
□二―二七(衛霊公第一五―一七)
孔子が言いました。
「大勢で一日中たむろして、談論は一言も道義に言及することなく、ただ得意げに小賢しいことばかり言っている。こんな者は世に出ても成功することはないだろう」
□二―八(子罕第九―二三)
孔子が言いました。 「若者には恐るべき可能性がある。勉強と努力によっては将来どんな大人物になるか分からないのだから。しかし四十、五十になっても世間に名前が聞こえないようでは、これはもう恐れるほどのことはない」
□二―二九(陽貨第一七―二六) 孔子が言いました。 「不惑の四十になっても修養がなく、人に嫌われるようでは、もうどうにもならない」
□二―三〇 (憲問第一四―二五)
孔子が言いました。
「昔の学ぶ者は自己の修養の為に学んだ。残念ながら、今の学ぶ者は世間の評判のために学んでいる」
□二―三一(泰伯第八―一二)
孔子が言いました。
「残念ながら、今は三年の一期間学んだだけでただちに就職する者のみが多く、三
年後もなお就職をあせらず修行に励もうとする者は求めがたい」
□二―三二 (憲問第一四―三二)
孔子が言いました。
「他人が自分を認めてくれないのを気にかけるより、自分の能力がないことを心配するがよい」
□二―三三 (学而第一―一六)
孔子が言いました。
「人に知られないことを心配するな、学問は自己修養のためである。それより世の人物を知らないことこそ心配し、これを求めて交わることだ」
□二―三四 (為政第二―一一)
孔子が言いました。
「古典を学び、のを研究し、それに習熟する。そこから新しい知恵を引き出すことのできる人物は、指導者としてふさわしい」
□二―三五 (子罕第九―八)
孔子が言いました。 「私は物知りだと思うか、いや物知りではないぞ。しかし、知識のない者が来て私にも分かぬことを聞いたら、私はその問題をいろいろな角度から徹底的に問いただし、結論を引き出してやるのだ」
□二―三六 (衛霊公第一五―三)
孔子が弟子の中でも秀才のに言いました。 「お前は私を多くのことを学んで、よく覚えている物知りだと思うか」 が答えて言った。
「はい、そう思います。そうではありませんか。」 「いや、そうではない。私は修行の結果、「一」つまり神とのつながりを得て、万事に応用できるのだ」
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