2010年11月2日火曜日

■まごころ論語(web)第五巻




□五―一(衛霊公第一五―一八)
 孔子が言いました。
「心に正義を抱き、行動は礼に則り、ことばは謙虚に口に出し、誠を貫いて成しとげる、これこそ君子である。」


□五―二 (雍也第六―一八)
  孔子が言いました。
「心が外形にまされば野人である。外形が心にまさればうわべ人間にしかすぎない。心と外形が調和して初めて君子である。」



□五―三 (顔淵第一二―八)
  が、
「君子は内心の充実だけでよいのだ、うわべの飾りなど何になろう。」
と言ったことを聞いて、孔子の弟子、が言いました。
「あの方にしてその言葉は残念だ。四頭立ての早馬でも口から飛び出した失言には追いつけない。外形は内心を表し、心は外形に宿るのでどちらも必要なのだ。もし虎や豹から毛を抜いたら犬と同じようなもので、内面だけにしたのでは君子の評価は表れないものだ。」

□五―四 (子張第一九―九)
  孔子の弟子、が言いました。
「君子の態度は三たび変わる。離れて見れば厳然としていて親しみがたい、近づけば温和にして親しみがある、しかしその言葉を聞けばまた厳しい。」




□五―五 (学而第一―四)                     
  孔子の弟子、が言いました。
「私は日に何度も我が身を反省する。人のためにはかって誠意が欠けていなかったか、友と交わって信義に反することをしなかったか、はっきり修得していないものを受け売りで人に教えたりしなかったかと。」




□五―六 (学而第一―八の一部及び衛霊公第一五―三〇)
  孔子が言いました。
「過ちがあればすぐに改めよ。過ちがあっても改めないことこそ本当の過ちと言う。」




□五―七 (子張第一九―二一)
  孔子の弟子、が言いました。
「君子の過ちは、日食や月食のようなものである。過ちを犯すとすべての人が注目するし、過ちを改めるとすべての人が本来の輝きを仰ぎ見るから。」



□五―八 (子張第一九―八)
  孔子の弟子、が言いました。
「過ちは誰にもあるが、小人は過ちを犯した時に必ず言い繕ってごまかそうとする。」


□五―九 (衛霊公第一五―三七)
  孔子が言いました。
「君子は正しいことを堅く守るのであって、善悪をかまわず頑なに守るのではない。」



 □五―一〇 (子張第一九―一一)
  孔子の弟子、が言いました。
「重要なことでは枠を外れてはならないが、小さなことでは多少の出入りがあっても差し支えない。」                   


□五―一一(顔淵第一二―二四)
  孔子の弟子、が言いました。
「君子は根本的な学問によって友と交わり、切磋琢磨の交友によって仁徳の修養を成就する。」


□五―一二(学而第一―八の一部)
  孔子が言いました。
「誠のある人物と親しみ、自分にそぐわない者は友とすべきではない。」



五―一三(顔淵第一二―二三)
  弟子のが交友について質問すると、孔子は言いました。
「まごころをもって忠告し、善を勧めるべきだ。しかし、聞き入れなければそこで止めておくがよい。かえって恥をかくことになるものだ。」



五―一四(子路第一三―二三)
  孔子が言いました。
「君子は心から親しむがなれあわない。つまらない人間は利害を介するからなれあうが心から親しまない。」

□五―一五(為政第二―一四)
  孔子が言いました。
「君子は広く心から親しむがなれ合わない。つまらない人間は、利害の合う者とのみなれあい、心から親しまない。」


□五―一六(衛霊公第一五―二二)
  孔子が言いました。
「君子は謹厳だが他人と争わない。大勢の人と親しくするが派閥をつくろうとはしない。」


□五―一七(顔淵第一二―一六)
  孔子が言いました。
「君子はその人の長所をさらに伸ばすようにし向ける。つまらない人間はその逆である。」



□五―一八(先進第一一―二一)                           孔子が言いました。
「発言の内容が良いと言うだけでは、果たして君子であるか、それともうわべだけの人であるか分かるまい。」

五―一九(衛霊公第一五―二三)
  孔子が言いました。
「君子はよい発言をするというだけでその人を登用しない。また普段の行いがよくないからといってその意見を退けることもない。」



□五―二〇(里仁第四―二四)
  孔子が言いました。
「君子は口は達者でなくても、行動は敏速にと心がける。」



□五―二一(為政第二―一三)
  弟子のが、君子について尋ねると、孔子は答えました。
「まずその言おうとすることを実行し、その後で言葉に出す人だ。」



□五―二二(憲問第一四―二四)
  孔子が言いました。
「何事によっても心がけによるから、君子は一歩づつ向上し、小人は一歩づつ下落していく。」

□五―二三(里仁第四―一六)
  孔子が言いました。
「君子は意識が高いので、我欲のない正義に敏感である。小人は意識が低いので、我欲からくる利害に敏感である。」





□五―二四(里仁第四―一二)
  孔子が言いました。
「ただ利害だけを求めて行動していると、怨まれることが多くなる。」






□五―二五(子路第一三―二六)
  孔子が言った。
「君子は修めるところが深いので悠然としているが傲慢ではない。小人は傲慢でいながらゆったりしたところがない。」


□五―二六(述而第七―三六)
 孔子が言いました。
「君子はいつも笑顔でのびやかである。小人はいつでも心配そうな顔をしている。」




□五―二七(顔淵第一二―四)
  弟子のが君子について質問しました。孔子は言いました。
「君子はやたらに心配したり、恐れたりしないものだ。」
「心配もせず恐れもしなかったら、君子と言えるのでしょうか。」
「自分を反省してやましいことがなければ、何を心配し何を恐れるのだ。」




□五―二八(陽貨第一七―二三)
  弟子のが質問しました。
「君子は勇を第一とするものでしょうか。」
  孔子は言いました。
「いやそうではない。君子は正義が一番大切だ。君子でも勇気があって正義がなければ乱を起こし、つまらない人間だと勇気あって正義がなければ盗みを働く。」


□五―二九(陽貨第一七―二四)
  弟子のが質問しました。
「君子もまた憎むことがありますか。」
 孔子は言いました。
「憎むことがある。他人の悪口を言う者を憎み、下の者が目上の人をけなすのを憎む。勇気のみあって礼儀のない者を憎み、 決断力はあるが道理の分からない者を憎む。」
やお前もまた憎むことがあるか。」                   は、
「私も憎むことがあります。他人の考え方をかすめとって物知り顔をする者を憎み、無遠慮でもって勇気ある者とするを憎み、人の秘密をあばいて正直面をする者を憎みます。」


□五―三〇(衛霊公第一五―一五)
  孔子が言いました。
「己に厳しくし、人に寛大であれば怨みごとから遠ざかる。」


□五―三一(衛霊公第一五―二一)
  孔子が言いました。
「君子は何ごとも己に責任を求めるが、小人は反対に責任のがれをする。」
                                                    

□五―三二(子路第一三―二五)
  孔子は言いました。
「君子は仕えやすいが喜ばせがたい。それは道理にあわない機嫌をとっても喜ばないからである。そして人を使うのにはその長所だけを活用する。つまらない人間は仕えがたいが喜ばせやすい。それは道理にかなわなくても喜ばせることができるからである。そして人を使うときはには度量も考えずに、何でもやらせようとする。」



□五―三三(衛霊公第一五―二)
  の国で食料が途絶え従う弟子達は立つ力もなくなってしまった。が憤然として孔子に言いました。
「徳の備わった君子でもすることがるのですか。」
 孔子は言いました。
「君子ももちろん困り果てることがある。ただ君子は困り果てても道を堅く守る。しかし、つまらない人間は困り果てるとすぐ取り乱したりする。」



□五―三四(憲問第一四―七)
  孔子が言いました。
「君子でも時に過激なことをして人間愛に欠ける者はいるが、小人でいて仁を備えた者はいない。」

□五―三五(為政二―一二)
  孔子が言いました。
「君子は狭い専門家であってはならない。全人的な完成をめざすべきだ。」






□五―三六(子張第一九―四)
  孔子の弟子、が言いました。
「たとえ異端の説であっても必ずみるべきものはあるが、君子の道を修めて深い境地に達しようとするには、異端は妨げになるから深入りしてはならない。」




□五―三七(衛霊公第一五―三四)
  孔子が言いました。
「君子は小さな事では十分に力を発揮できないので、大きな事をまかせるべきである。つまらない人間は大きいな事はできないが、小さな事は努めることができる。」



□五―三八(陽貨第一七―一四)
  孔子が言いました。
「こっちで聞いたことをそのまま途中でもっともらしく話すのは、まだよく身につけていないのだから徳を捨てるようなものだ。」




□五―三九(衛霊公第一五―二六)
  孔子が言いました。
「みんなが憎むときも必ず自分で確かめ、みんなが好むときも必ず自分自身で深く確かめてから判断しなければならない。」




□五―四〇(顔淵第一二―六)
  弟子のが「聡明」ということを質問した。孔子は言いました。
「じわじわとしみ込んでくるような中傷や、せっぱつまって肌身に感ずるような訴
えに人は動かれやすいものだが、よく判断できてそれが通用しないなら聡明といえ
る。じわじわとくる陰口や、肌身に受けるような痛切な訴えがよく判断できて通用
しないなら明察であると言える。」


□五―四一(雍也第六―二六)
  弟子のが尋ねました。
「仁者は井戸の中に仁があると言われたら、直ちに自ら降りていきますか。」
  孔子は言いました。
「犬死にと分かっていてどうしてそんなことをするものか。君子はそばまで行かせても中に落とし込むことはできない。道理にかなったことを言えばだますこともできるかもしれないが、道理にかなわないことではだますことはできない。」
                                                                          

 
□五―四二(憲問第一四―三三)
  孔子が言いました。
「人に接するとき、初めから裏があるのではないかと思い過ごしたり、だまされはしないかとかんぐりせず、それでいて事前に気がつく、これこそ明察と言えよう。」




□五―四三(衛霊公第一五―一二及び一五―二七の一部)
  孔子が言いました。
「遠く先々のこと、広く全体のことを考えておかないと、必ず身近なところに心配ごとが起こってくる。小さな事を見逃すと大きな事で乱れを生ずることになる。」


□五―四四(季氏第一六―七)
  孔子が言いました。
「君子には三つの戒めがある。若いときは血気がまだ定まらないので色欲を戒める。壮年になれば血気まさに盛んなときであるから他人との争いを戒める。老年になれば血気がすでに衰えるから我欲を戒める。」



□五―四五(泰伯第八―一一)
  孔子が言いました。
「たとえほどの優れた才能があっても、傲慢でしかもケチならば、その他は取るに足らない。」




□五―四六(堯曰第二〇―五)
  孔子が言いました。
「天命を自覚しなければまことの君子とは言えない。礼法を知らなければ社会に立っていけない。相手の言葉を理解しなければその人を知ることはできない。」




□五―四七(衛霊公第一五―二〇)
  孔子が言いました。
「君子は一生を終えて、その名を残せないことを憂う。」




□五―四八(子張第一九―二)
  孔子の弟子、が言いました。
「徳を修めるのに一方に狭く偏っていたり、せっかく学んだ道を篤く信じることができないようでは、その人が良いとか悪いとか論じるに足りない。」





□五―四九(衛霊公第一五―三二)
  孔子が言いました。
「君子は我が道をいかに行うかに心を砕くが、生活費をいかにして得るかということはあまり腐心しないものである。修養すれば自然にお金にはありつくものである。君子は道に心を悩ますが貧乏であることには心配しない。」



□五―五〇(里仁第四―一四)
  孔子が言いました。
「地位が得られないのを悩まず、地位にふさわしいか
どうかを悩むべきである。 人に認められないのを悩まず、認められるに値するように努力すべきである。」




□五―五一(里仁第四―九)
  孔子が言いました。
「かりそめにも道の修養を志しながら、日常の衣食の粗末なことを恥じるようでは、友として共に道を語るに足りない。」




□五―五二(憲問第一四―三)
  孔子が言いました。
「およそたる者、安楽ばかりに心を奪われ、職務を二の次とするようでは、とてもとするに足りない。」



□五―五三(子路第一三―二八)
  弟子のが質問しました。
「どんな者がと言えますか。」
  孔子は言いました。
「切磋して励まし合い、なごやかに親しむのがである。」





□五―五四(顔淵第一二―二〇)
  弟子のが質問しました。
はどうあればと言えるでしょうか。」孔子は答えて、
「お前の言う達人とはどんなことか。」
「国家に仕えても必ず評判となり、会社に仕えても評判になるということです。」
「それは有名になるということであって達人とは言えない。達人とは心がまっすぐで正義を愛し、人の言葉や表情をよく理解し、思慮深く自らへり下る、国家に仕えても会社に仕えても必ず任務は達成する。だが今の有名人は表だけは仁を装っているが、やるべきこともやらずにいるだけだ。」





□五―五五(子張第一九―一)
  が言いました。
とは、危機に際しては命を投げだし、利益に面しては正義にかなうかどうかを考え、祖先を祭るには心から敬い、いには悲しみをつくせば、それでひとかどと言えよう。」



□五―五六(泰伯第八―六)
  孔子の弟子、が言いました。
「幼少の若君を託すことができ、一国の使者として運命を預けることもできる。そして大事に至っては信念を守って揺るがない。これで君子だろうか、まさにこれこそ君子である。」



□五―五七(泰伯第八―七)
  孔子の弟子、が言いました。
は度量が大きく意志が堅固でなくてはならない。仁道に徹するその任は重く果てしがない。仁道をもって任じれば重くないはずがない、死んではじめて終わるのだから果てしがないことではないか。」

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