2010年11月2日火曜日

■まごころ論語第四巻




□四―一(衛霊公第一五―二九)
 孔子が言いました。
「人が道徳を広めて行くことができるのであって、徳目がいくらあっても自然に人の間に広まるわけではない。」



□四―二 (為政第二―二二)
  孔子が言いました。
「人の世は信用がなければ成り立っていけない。立派な馬でも、馬車のと横木をつなぎ合わせる留め金がなければ、どうして馬を走らせることができようか。人の信義はこの留め金と同様、いくら才能があっても、いかなる立場にいても信用がなければ世に立っていけない。」



□四―三 (学而第一―一三)
  孔子の弟子、が言いました。
「道理にかなった約束であればその約束を実行するのだ。丁重な態度をとっても、礼法にかなっていれば、恥をかいたりしない。人を頼るにしても、最初に相手の人柄を選び、親しみ方をとり違えないことが大切である。」

□四―四 (雍也第六―一九)
  孔子が言いました。
「人の生き方は、正直まっすぐであればとで安らかなものである。曲がって生きているのはまぐれというものだ。」



□四―五(衛霊公第一五―二五)
  孔子が言いました。
「私は人をことさら良くも悪くも言わない。もし誉めるとすればそれははっきり試したうえでのことだ。今の人々もと理想の三代の人と同じ良心もあれば
徳性もある。だからこれを発揮させ良民たらせるべきで、むやみにこれを良くも悪くも言ってはならない。」


□四―六(憲問第一四―三六)
  ある人が質問しました。
「徳をもって怨みに報いたらどうですか。」
 孔子は答えて言いました。
「そうしたら何をもって徳に報いるのだ。」
  そして続けて言いました。
「まっすぐな正しさで怨みに報い、徳をもって徳に報いるべきだ。」

□四―七 (子路第一三―二四)
  弟子のが質問しました。
「土地の人がみな誉めるような人はどんなものでしょうか。」
  孔子は答えました。「まだ十分ではない。」
「土地の人みなからまれるのはどうですか。」
「それもよくない。その土地の善人からは好かれ、善くない人達からは嫌われるという人間でなくてはならない。」



□四―八 (陽貨第一七―一三)
  孔子が言いました。
「八方美人は一見誠実そうに見えるが、むしろ徳を損なう偽善者である。」



□四―九 (為政第二―二四の後半)
  孔子が言いました。
「これが人間としての正義と知りながら、自分の利益、保身のために行動しない。それは勇気ない者である。」

□四―一〇 (先進第一一―二〇)
  弟子のが人物としての行いを聞くと、孔子は言いました。
「生まれつきの人物は道を学ばずとも堂に入ったよい行いをする。しかしそれだけでは奥義に達した高いレベルの行いはできない。」




□四―一一(陽貨第一七―一二)
  孔子が言いました。
「うわべだけは厳然と構えて、その心が卑しいのはくだらない人間の中でも、まあコソ泥のようなものだ。」




□四―一二(為政第二―一〇)
 孔子が言いました。
「その人の行動を見て、その行動の動機を観察し、その行為に安んじているかどうかを察すれば、必ずやその人の正体が明らかになるものだ。」




□四―一三(衛霊公第一五―四〇)
  孔子が言いました。
「進む道が同じ方向でなければ、共に語り合ってもどうにもならない。」




□四―一四(里仁第四―二五)
  孔子が言いました。
「徳を行っている限り、人は決して孤立はしない。必ず共鳴する仲間が現れるものだ。」









□四―一五(顔淵第一二―五)
  孔子の弟子、が悲しんで言いました。
「人はみな兄弟があるのに私には無くなってしまった。」
  相弟子のが慰めて言いました。
「『生死も富貴もすべて天命による』という言葉があります。また『立派な人間が慎んで過ちなく、まごころを尽くしてつき合えば、世の中みな兄弟である』とも言います。立派な人間は兄弟のないことを嘆く必要はありません。」



□四―一六(衛霊公第一五―八)
  孔子が言いました。
「相手と言葉を交わす機会があったとき語らなければ人物を失い。言葉を交わしてはならないときに口を出すと失言の過ちを犯す。智者はそのような愚はしないものである。」



□四―一七(里仁第四―一)
  孔子が言いました。
「まごころを大切にする生き方は美しい。心の奥から出てくるまごころを大切にする生き方を追求する者、これぞ人物と称されるのだ。」


□四―一八 第一五―四)
  孔子が嘆いて弟子のに言いました。
「徳をわきまえる人間が少なくなったものだ。」



□四―一九 (雍也第六―二九)
  孔子が言いました。
「片寄らず常にかわりないことが中庸である。この中庸の美徳はまさに最高といえる。しかし永らくこれを守って実行する人の少なくなったのは嘆かわしい。」





□四―二〇 (子路第一三―二一)
  孔子が言いました。
「中庸を得た人を仲間とするのが第一である。第二に選ぶとすれば熱狂的な人である。熱狂的な人は実行は伴わないが、進取の気風がある。第三にはガンコ者
である。ガンコ者は志操堅固で悪いことは断じてしない人だ。過熱狂的な人は過ぎ、ガンコ者は及ばないが、教育すればなお大成の見込みはある。」




□四―二一 (泰伯第八―一六)
  孔子が言いました。
「情熱的でありながら率直でなく、無知でありながら真面目さがなく、愚鈍でありながら誠実でない。せめて片方だけでもあればなんとかなるが、悪徳の両面を持っていれば、私としても手のつけようがない。」



□四―二二 (陽貨第一七―一六)
  孔子が言いました。
「昔人間には三種類の変わり者があったが、今はそれすらいなくなった。昔の熱狂家は信念を貫いたが、今の熱狂家は暴れるだけだ。昔の硬骨漢は自分を厳しく律したが、今の硬骨漢はすぐけんかをする。昔の愚かな者は正直だったが、今の愚かな者は見え透いたうそをつく。」




□四―二三 (公冶長第五―二七)
  孔子が言いました。
「情けないことだ、自分で過ちを認め、自分で心に責めることのできる者が見あたらない。」

□四―二四 (衛霊公第一五―一三)
  孔子が言いました。
「本能である強い色欲ほどに、徳を好む者はいないものだろうか。」


□四―二五 (憲問第一四―一一)
  孔子が言いました。
「貧乏をして怨み言を言わないのは難しいが、金持ちになって威張らないのはやさしい。」


□四―二六 (学而第一―一五)
  金持ちとなった弟子のが聞きました。
「貧乏でも卑屈にならず、金持ちでもにならない、というのはどうですか。」
  孔子はまだ貧富のワクから脱しきれない弟子にあえて言った。
「よろしい。しかし貧しくて道を楽しみ、富んで礼法を好むのには及ばない。」
「それは詩経の『玉を仕上げるのに、刃物で切り、ヤスリですり、さらに砂で磨きをいれるように、いよいよ修行に励んで立派にしていく。』という切磋琢磨という心ですか。」
、それでこそお前とは詩を語ることができる。一を言えば二が分かる。」

□四―二七 (述而第七―三五)
  孔子が言いました。
「ぜいたくしているとになり、倹約しすぎると頑固になる。二者ともに中庸を得ないものであるが、私は不遜よりはむしろ頑固をとろう。」


□四―二八 (里仁第四―二三)
  孔子が言いました。
「言葉でも、物でも、控えめにすれば間違いが起こることが少ないものだ。」



□四―二九 (学而第一―三)
  孔子が言いました。
「顔つきがやわらかく口先だけの人は、うわべのみを飾り、人間愛が少ないものである。」



□四―三〇 (子路第一三―二七)
  孔子が言いました。
「強い意志と決断力を持ち、しかも飾り気なく素朴で、ことば数が少ない人は、だいたい仁者に近い人である。」

□四―三一 (衛霊公第一五―二七前半)
  孔子が言いました。
「言葉が巧みなのは、よく品徳があるのと混同される。実行の伴わない巧みな言葉は、ややもすると人間の徳を乱すものだ。」


□四―三二 (里仁第四―二二)
  孔子が言いました。
「昔の人が軽々しくものを言わなかったのは、行いが及ばないことを恥じたからである。」


□四―三三 (顔淵第一二―三)
  そそっかしい弟子のが孔子に仁を質問した。孔子は言いました。
「仁の者は言葉を控えめにするものである。」
「言葉を控えれば仁と言えるのですか。」
「実行がたやすくないことを知れば、言葉は控えないわけにはいかないのだ。」
                                                                   


□四―三四 (憲問第一四―二一)
  孔子が言いました。
「実行が出来ないことを大言して恥じないようでは、まあ実行もおぼつかないな。」

□四―三五 (憲問第一四―五)
  孔子が言いました。
「徳のある者には必ず立派な言葉があるが、立派な言葉を口にしても必ずしも徳があるわけではない。徳のある人は私心がなく、義を見ては必ず行う勇気のあるものだ。しかし勇気のある者に必ずしも仁があるとは言えない、血気の勇というのもあるからである。」



□四―三六 (憲問第一四―三五)
  孔子が言いました。
「昔の名馬『』が名馬たるゆえんは、むろん力も優れているが、その力だけではなく、よく育てられたその馬の徳性のためである。」

□四―三七 (里仁第四―四)
  孔子が言いました。
「いやしくも少しでも仁に志せば、悪いことはしなくなるものだ。」


□四―三八 (里仁第四―三)
  孔子が言いました。
「ただ仁者だけは我欲がないため、本当に人を愛し、本当に人を憎むことができる。」




□四―三九 (里仁第四―六)
  孔子が言いました。
「不仁を憎むほどに仁を好む者はなかなか見あたらない。仁を好む者はそれにこしたことはないが、不仁を憎む者もその実、仁といえる。不仁の影響を受け入れないからだ。そして少なくともその一日くらいは仁に務めるだろう。それほどの力さえない者など見たこともないし、仮にいたとしても私はまだ会ったことがない。」




□四―四〇 (里仁第四―二)
  孔子が言いました。
「不仁の人は長く逆境に耐えられず、また長く順境を楽しむこともできない。仁者は仁の道で安心を得る。知者は仁を利用する。深浅の差はあるが、どちらも守りどころがあって動かない。」


□四―四一 (雍也第六―二三)
  孔子が言いました。
「智者は流れて止まぬ水を楽しみ、仁者は不動の心ゆえ山を楽しむ。知者は機を見て状況に応じて動き、仁者は不動の態度で静かである。知者は世相に誤りなく対処し楽しんで生き、仁者は安心立命で自ずから長生きする。」



□四―四二 (述而第七―二五)
  孔子が言いました。
「聖人に会えなくても人物に会えればいい。人物に会えなくても信念の強い人に会えればよい。無いものを有るように見せ、空っぽなのを満ちているように装い、困っているのに安泰なように見せかける。こんな当世の気風では不動の信念を持つこ
とがいかに難しいことであろうか。」



□四―四三 (季氏第一六―一一)
  孔子が言いました。
「『よいことを見たら取り逃がしはしないかと懸命に追い求め、不善を見たら熱湯から手を引くように避ける』、私はこういう人を見たこともあれば、その言葉も聞いている。しかし『この世から隠れてその志を貫き、正義を行ってその道を通すという者』は、その言葉は聞いてもそんな人は見たことがない。」

□四―四四 (顔淵第一二―一)
  弟子のが孔子に仁を質問しました。孔子は言いました。
「人間で有れば欲が出るのが天の道である。その我欲に打ち克つて礼法の基準に従うのが人の道である。 仁を行うのは自分次第だ。どうして人だのみできようか。」
「どうぞ、その要を教えて下さい。」
「礼法に合わなければ見ない、礼法に合わなければ聞かない、礼法に合わなければ言わない、礼法に合わなければ行わない。」
「ふつつかながら私は、このお言葉をいただいて一生実行に努めます。」





□四―四五 (顔淵第一二―二)
  弟子のが仁を孔子に質問しました。孔子は言いました。
「誰に対しても高貴な人と接するようにうやうやしくする。人々を使う時には国家の祭典を行うように深く慎んでする。そして自分の欲しないことを人にしてはならない。そうすれば仕事でも私事でも人間関係を損なうことはない。」
「私はふつつかながら、このお言葉を拝受して実行に努力します。」





□四―四六 (衛霊公第一五―一〇)
  弟子のが仁徳の修め方について尋ねた。孔子は答えました。
「名工が仕事をするには、まず先に道具を研ぐものだ。そのように人生を磨くためには、まず賢者にお仕えし、仁徳のある者を友とすべきである。」



□四―四七 (憲問第一四―二)
  弟子のが尋ねました。
「勝ちたがったり、自慢したり、怨んだり、欲張ったりすること、これらがすべて抑えられたら仁といえますか。」
  孔子は答えて言いました。
「なしがたい事とは言える。だがそれは己に克つことだけであり、それだけでは仁といえるかどうか。」




□四―四八 (子路第一三―一九)
  弟子のが仁を尋ねた。孔子はこう答えました。
「いかなる地位にあっても日常のふるまいは謙虚で、いかなる事を処するにも心を込め、いかなる人に対してもまごころを尽くすべきであることは、たとえ野蛮な国に行っても変わりがあってはならない。」

□四―四九 (顔淵第一二―二一)
  弟子のが孔子のお供をして、い台のある公園に遊んだとき尋ねました。
「恐れ入りますが、詩経の『徳を高め、邪気を除き、惑いを見分ける』というのはどういう意味でしょうか。」
  孔子は言いました。
「いい質問をした。まず努力をして事をなしとげ、報酬を後にすれば徳を高めることになるではないか。自分の欠点は責めるが、他人の欠点を責めなければ己の心の邪気を除くことになるではないか。一時の怒りにかられて我が身を忘れ、そのため親族にまで災いを及ぼす、これこそ迷いではないか。」







□四―五〇(顔淵第一二―一〇)
  弟子のが『徳を高め、迷いを見分ける』という格言の意味を尋ねました。
  孔子は答えて言いました。
「誠の者に親しみ、義に従うのが徳を高めることである。その人を愛すれば長く生きることを願い、憎めば早く死ぬことを望む。生きていて欲しいと思ったり、早く死ねばよいと思ったりする、それが迷いである。」


□四―五一(衛霊公第一五―六)
  がどうしたら世に通るかと尋ねた。孔子は言いました。
「言葉にまごころがあり、行動は実直で慎重であればどんな野蛮な国にいっても通る。もし言葉にまごころがなく、行いも慎み深くなければ、人は我を信用せず、自分の町でさえも通らない。立てば真っ直ぐ正面を向き、車に乗れば姿勢を正して座るように、常に誠を行うような心がけがあれば、みんなから受け入れられどこでも通じるものだ。」
  はこの言葉を広帯の端に書きつけた。





□四―五二(子罕第九―二六)                                     孔子が言いました。
「大軍の総大将でさえも捉えることはできるが、どんな凡人でも、不動の信念を持っていれば、みだりにその志を奪うことはできない。」








□四―五三(里仁第四―五)
  孔子が言いました。
「財産や高い身分は人の欲するところであるが、学を修め功を立て、身を修め徳を備えた上で得るのでなければ保っていけない。貧乏や低い身分は人の嫌うところであるが、非行によって陥ったものでなければ、あえて避けない。立派な人間は仁を離れて名声を得ようとはしない。君子は日常茶飯の間も人間愛に違わず、緊急のときも人間愛を忘れず、倒れたときにも人間愛に従う。」                                 





□四―五四(衛霊公第一五―二四)
  弟子のが尋ねました。
「ひとことで一生涯行なえるような教えがありますか。」
  孔子はこう答えました。
「それは『思いやり』ということだ。自分にして欲しくないことは人にしてはなら
ない。」





□四―五五(里人第四―一五)
  孔子が弟子のに言いました。
 「私が説いてきた道は『一』を以て貫かれている。」
  曾子は
「はい」
  と答えた。孔子が出ていくと門人たちがその意味を聞いた。曾子は言った。
「先生の道は『まごころ』と『思いやり』に他ならないのです。」




□四―五六(衛霊公第一五―三六)
  孔子が言いました。
「仁を行うに当たっては、恩師にさえ遠慮して譲ることはない。」



□四―五七(衛霊公第一五―九)
  孔子が言いました。
「信念の人や仁の人は、命惜しさに仁徳を害するようなことはしない。時には命を捨てても仁徳を成しとげる。」


□四―五八(雍也第六―一七)
  孔子が言いました。
「誰が玄関を通らずに外に出ていけるのか、人として生きていくのにどうしてこの仁の道を通る者がいないのだろうか。」


□四―五九(里人第四―八)
  孔子が言いました。
「もしも朝に真実の人の道「を聞き、これを会得したならば、その夕べに死んだとしてもそれで悔いはない。」

■まごころ論語(web)第三巻

まごころ論語 第三巻

□三―一(泰伯第八―八)
 孔子が人間の教養について言いました。
「『を学べば心が奮い起こされる、次に礼によって行動の規範をたて、音楽によって心の調和を得るのだ。」




□三―二 (為政第二―二)
  孔子が言いました。
「『の三百編は、一言で言いつくせば、『心に邪心がない』、つまり真っ直ぐまごころから出たということである。」



□三―三 (陽貨第一七―九)
  孔子が若い弟子たちに言いました。
「どうして『』を学ばないのだ。『詩経』は心を奮い立たせるし、物事を深く観察させる。人との交わり方も、怨みごとをうまく処理することもみんな教えてくれる。身近なところでは父母に尽くし、将来は主君にお仕えすることも、また多くの言葉や物の名を知ることもできるのだ。」



□三―四 (陽貨第一七―一〇)
  孔子は子息のに言いました。
「お前は『詩経』のの部を覚えたか。天下を治めるにはまず家を治めなければならない。家を治めるには夫人のが根本である。だから、徳化を歌うこれらの詩を覚えなければ、に顔をつけて立っているようなもので、真実は見えないし、一歩も前進できないぞ。」




□三―五 (子路第一三―五)
  孔子が言いました。
「『詩経』三百編を暗唱していても、政務を与えられて職務を達成できず、他国に代表となって出向いても一人で適宜に応対できないなら、いかに多くを学んだとて何にもならないではないか。」

□三―六 (八?第三―八)
  弟子のが言いました。
「『詩経』の『ほほ笑みのいとうるわしく つぶらなる瞳きらめき の真白なるをとせん』という詩はどういう意味ですか。」
「絵はまず下地をよくすることで、すのはその後のことだ。」
 と言った。
がまた聞いた。
「では、忠と信の心を先に修めてから、礼法で仕げるということですか。」
  孔子は喜んで言いました。
、よくぞ私の意図するところを引き出してくれた。これでこそ、お前とは『詩経』を語ることができる。」






□三―七(述而第七―一三)
  孔子はで『』という音楽をいて感動し、三月の間は肉の味も分からぬほど集中して研究し、そして言いました。
「音楽というものがここまで行きつけるとは思いもよらなかった。」              


□三―八(八?第三―二五)
  孔子がの時代の『』という音楽を評して言いました。
「調和がとれ美を尽くしている、慈悲の心も十分なものである。」
  そして、周のの時代の『武』という音楽を評して言いました。
「調和の美は十分であるが、まだ慈悲の心は十分とは申しがたい。」




□三―九(八?第三―二〇)
  孔子が言いました。
「『の冒頭にある『みさご』という愛の歌は、楽しんでもおぼれず、悲しげであっても心を痛めるほどではない調和のとれているものだ。」




□三―一〇(八?第三―七)
  孔子が言いました。
寧に会釈をして台上に上り、会釈をして台上から下りる。終わってからはお互いを讃え、勝者が敗者に酒を奨める。これが君子の争いというものだ。」


□三―一一(八?第三―一六)
  孔子が言いました。
「弓の礼では、の皮を何枚くかが大切なのではない。腕力には生れながらの差別があるからで、そいううのが古代のやりかたである。」



□三―一二(泰伯第八―二)
  孔子が言いました。
「恭・慎・勇・直はいずれも大事な徳目であるが、これを節するに礼法をもってし
なければ弊害を生ずる。則ち、恭しくあっても礼がなければ疲れる。慎みであっても礼がなければ臆病になり。勇であっても礼がなければ乱暴になる。直であっても礼がなければ窮屈になる。
   上に立つ者が親しい者に手厚くすれば、下の者も仁になろうと奮起する。古い友人を忘れなければ、人民も薄情でなくなる。上に立つ者の行いは直ちに下に影響を及ぼすものである。」



□三―一三(雍也第六―二七)
  孔子が言いました。
「君子はまず、博く書物を学び、正しい生き方で我が身を律すれば道にはずれることはないだろう。」

□三―一四(八?第三―一四)
  孔子が言いました。
の文化は二代の文化を総合したものだから、その文化も受け継いで、いよいよ盛況を極めたのだ。したがって我々もまた周の文化に従わなければならない。」



□三―一五(衛霊公第一五―一一)
  弟子のが国家の制度について質問した。孔子は言いました。
「農業に合うの暦に従い、の堅固な車を使用し、の完備した礼服を着用する。
音楽はの時代の『』を用い、の音楽を捨てる。それから口達者な小人は朝廷から遠ざけることだ。の音楽は淫らである、淫らな音楽は人心を腐敗させ、口先だけの人は国を危うくするものだ。」



 □三―一六(八?第三―五)
   孔子は言いました。
「異民族のごとき文化の低い国でも、君主があり、社会には道徳的秩序があるのに、文化の高きをもって任じていながら、国内において道義が退廃し上下の分の乱れがあるのは恥ずかしいことである。」



□三―一七(憲問第一四―四三)
  孔子が言いました。
「上の者が正しい生き方をすれば、人々は自然に恭しくなって治めやすくなる。」



□三―一八(里人第四―一三)
  孔子が言いました。
「礼は表、謙譲は礼の裏であり実質である。則ち法律と道徳のようなものである。礼と謙譲によって国の政治を行えば、何の難しいこともなく、国が治まらないということはない。もし礼と謙譲によって国が治まらないとうことであれば、それは礼の表の形式だけで、裏の実質にあたる謙譲の精神則ち道徳が欠けているからである。」



                                                                 
□三―一九(学而第一―一二)
  孔子の弟子のが言った。
「何事を行うにも、和が最も大事である。人と人との和がなければ何もできるものではない。昔の名君たちの政治も和を重んじた。しかし、事の大小なくそれに従ったが、それだけではいけない。和を重んじ和ばかり図っても、礼法によって節度を守らなければ、やはりうまくいかない。」


□三―二〇(衛霊第一五―三三)
  孔子が言いました。
「国を治める見識があっても、守っていくには仁徳が足りなければ獲得した地位も必ず失う。見識があり、仁徳が守るに足り、威儀を正して臨んでも、人民を動かすに礼法をもってしなければ、まだ善政とは言えない」




□三―二一(陽貨第一七―一一)
  孔子が言いました。
「世間では礼だ礼だと言うが、その礼は形式的に金品を贈ることではない。
音楽だ音楽だというが、鐘や太鼓を鳴らすことだけが音楽ではない。儀礼や形式よりも心が大切なのだ、音楽の本質は人の心を和らげることにある。」




□三―二二(八?第三―三)
   孔子が言いました。
「人としてしみの心がなかったならば儀礼がなんになろう。まごころが表れないならば、そんな音楽が何になろう。」


□三―二三(為政第二―二四の一部)
   孔子が言いました。
「かかわりのない神を祭るのはへつらいにしかすぎない。」




□三―二四(八?第三―一二)
  孔子が言いました。
「先祖を祭る時には先祖がそこにおられるようにとり行う。神様のお祭りには
 神様がそこにおられるようにとり行う。」





□三―二五(子張第一九―一四)
  孔子の弟子、が言いました。
は心からの哀悼を尽くすばかりだ。」





□三―二六(子罕第九―三)
「礼服としては麻の冠が礼法の定めであるが、今は倹約のため絹糸になってきた。このことでは皆なに従おう。主君に対しては宮殿の下に降りて敬礼するのが礼法であるが、今では上で敬礼するようになった、これは不遜である。だから私は皆なに逆らっても下に降りて敬礼する。」



□三―二七(八?第三―一七)
  弟子のが毎月のの祭礼で、形式的にだけが供えられていたために、その生けにえの羊を廃止しようとした。そこで孔子は言いました。
、お前はその羊を惜しむが、私は古来からの重要な礼法の伝統の方を惜しむ。」




□三―二八(八?第三―一五)
  孔子は宮廷に入って礼をことごとく聞きただした。ある人が、
 「だれがあの田舎者を礼をよく知っているなどと言ったのだ。宮廷に入ったら、たわいもないことをいちいち聞いているではないか。」
と言った。それを伝え聞いて孔子は言いました。
「あのように慎重にするのが礼にかなった作法なのだ。」


□三―二九(八?第三―四)
  弟子のが礼の根本について尋ねたとき、孔子は言いました。
「それは重要な質問だ、礼は華やかに行うよりは、むしろ質素でいいのです。葬祭も儀式を整えるよりも、むしろ心から悲しめばいいのです。」




□三―三〇(雍也第六―二五)
  孔子が言いました。
「飲酒の礼に使う昔のには角があって量をが少なくなるようにしてあったものだ。しかし今のには角がなくなって大酒になった。それでもというのか、それでもと呼ぶのか。」



□三―三一(陽貨第一七―一八)
  孔子が言いました。                                        流行の似て非なる紫服が朱服にとって変わるのが嘆かわしい。淫らなの音楽が正当な雅楽を乱すのが嘆かわしい。口先の達者な政治家が、知らぬ間に国家を危うくするのを私は最も憎む。」

■まごころ論語(web)第二巻

第二巻             学びの心


□二―一(第一―一)
 孔子が言いました。
「学んでは身近なことから実行し、そしてまた自ら考えていけば正しく行動出来るようになる、なんと喜ばしいことではないか。
 人間として成長するにつれ、共鳴する友が遠方からも訪れて来る、これまた楽しいことではないか。 
 仮にまた、人に認められなくても、天もまず人をもまず、信じるところに向かって行動するとすれば、これぞ君子というものではないか」
 
 (*この章が「小論語」といわれる)
 

□二―二(第七―六)                              孔子が言いました。                              「君子はまず道を修めるという志をたてよ。わが身に修めた徳を根拠とし、徳の中でも最も重要な仁にのっとり、私欲を離れ精進すれば、いつかは心の徳が完成し、何をしても身内の徳が外に輝きだすようになる。
 その上で学問や、技術などを勉強すれば、それらの学問にゆとりができ、楽しみの中で行うことができる」


                                        □二―三(第七―二四)                            孔子は四つのことによって教育した。
 それは、学問と実践、誠と信義である。                                                          
      
                                     
□二―四(学而第一―一四)                        
  孔子が言いました。                              「君子は美食を求めず、良い家に安住することを求めない。
 行動はすばやく、言葉は慎重にし、
 なおかつ徳ある者について身を正す。それでこそ学問好きの人物といえよう」


□二―五(第四―一七)                             孔子が言いました。                              「すぐれた人を見ては、どうかしてその人にあやかりたと思い。愚劣な者を見れば自分もそんなところがあるのではないかと反省とする」




□二―六(述而第七―二一)                             孔子が言いました。                              「三人で同じ行動をとれば、必ずとして学ぶべき人がいる。よい人にはあやかり、悪い人は反面教師とするからだ」     




□二―七(第九―二四)                             孔子が言いました。                               「筋の通った言葉には逆らうことはできまい。だがそれで行いを改めるのが大切だ。優しい言葉には嬉しがらずはいられない、だがその言葉の真意を汲むのが大切だ。いい気持ちになって深く考えもせず、口だけ服従しても行いを改めないのでは、私にはどうしようもない」                 


□二―八 第一九―七)              
  孔子の弟子のが言いました。             
「職人達が、その仕事場でして物を作り上げるように、君子は学問によってその道を究めるものだ」                     
                                         
                                         
                                         
                                         
□二―九(子張第一九―六)               
  孔子の弟子のが言いました。             
「博く学んで志を固め、自分に切実な問題として実践究明し、問題は自分の身近なことして考えていけば、人間として守るべき仁の道を会得することができる」
       
(*「博学」、「篤志」、「切問」、「近思」)


                                         
                                         
□二―一〇(第二―一七)              
 孔子が、負けず嫌いで、知らないことも知った顔をする癖のに言いました。
「お前に本当の知るということを教えよう、 知っているを知っているとし、知らな
いことは知らないとする、これが本当の知るということである」



□二―一一(衛霊公一五―三一及び学而第一―八) 
 孔子が言いました。                           
「私はかって一日中食事をとらず、一晩中寝ないで考えたことがあるが、なんら得ることがなかった。く学んほうがよい。学べば頑固になることがない」  



□二―一二(為政第二―一五)
 孔子が言いました。                              「ただ学ぶだけで身近なこととして深く考えなければ、身についた学問にならず深く理解できない。ただ考えるだけで、学ばなくては、独断にって危険である」                                  



□二―一三(為政第二―一六)                            孔子が言いました。    
「真理にそぐわない学説を研究することは、修養上には害のみである」                                  


□二―一四(衛霊公第一五―三九)                     
 孔子が言いました。                              「人間のレベルは教育・修行次第であって、生まれつきによるものではない」 
 
 (*芸術に必要な「」は生まれつきだけでなく、教育(の書を読み、
   万里の道を歩き、胸中の塵やよごれをとり除けば)によっては可能である)
                               (薫其昌)
 


□二―一五(第一七―二)                       
  孔子が言いました。
「人の生まれつきはみんな同じようなものだ、しかし習慣によって大きく異なって
くるものだ」                            

 (*「性」人が天から与えられたいのちを表す言葉。「習」とは習慣。     
  『習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる』





□二―一六(陽貨第一七―三)                           孔子が言いました。                              「ただ生まれつきの聖人のような人と、全く学ぶ意志のない最下等の者とでは、どうやっても移し変えることはできない」



□二―一七(第六―二一)                            孔子が言いました。                              「中から上の人間にはハイレベルのことを語れるが、中以下の人間にはハイレベルのことを語っても理解ができないから無駄である」                               
□二―一八(季氏第一六―九)                       
 孔子が言いました。
「生まれながらにして物事を知っているのが最上である。学んでからそれを知った
者が次である。困ってからそれを学ぶ者はその次である。困っても学ぼうとしない
者、これは最下等の人間である」



□二―一九(第六―二〇)
  孔子が言いました。
「何事をやるにしても、ただそのことを知っているだけの人は、それが好きな人には及ばない。それが好きな人も、そのことを楽しむ人には及ばない」



□二―二〇 (述而第七―八)
  孔子が言いました。
「考えつめてもだえるほどの情熱がなかったら、教えてもムダである。口にこもって言えないほどでなければ助けない。四角なものの一隅について教えた時、三つをもって返すようでなければ、何を教えても無駄である、その必要ない」


□二―二一(衛霊公第一五―一六)
  孔子が言いました。
「これをどうしよう、どうしたらいいかと自問しないような人は、私にはどうしよ
うもない」




□二―二二 (泰伯第八―一七)
  孔子が言いました。
「学問の心構えは、一生懸命追いつこうと努力し、それでも取り逃がしはしないか
と思って励むことだ」





□二―二三 (子張第一九―五)
  孔子の弟子、が言いました。
「日々にまだ知らぬことを学び、月ごとにその覚えたことを忘れまいとする。それでこそ学問を好む者と言えよう」                       

□二―二四(子罕第九―一九)                       
 孔子が言いました。                              「たとえば山を築くのに、あとで出来上がるのに、中止して功を成し遂げなければ自分の努力不足である。たとえば土地をすのに、の土でもさらに運ぶなら、ついには仕事を成し遂げるであろう」                 




□二―二五 (子罕第九―三二)                      
『からざくら  あでに咲けども  何かせむ  道の遠く  思いあせれど。』  
という歌があるのを、孔子は言いました。                     「これでは、まだ本当に愛しているとは言えないのだ。本当に愛しているなら、どこであろうと遠いことがあるものか。仁も同じことである」                        



□二―二六(子罕第九―二二)                       
 孔子がの早く亡くなったのを惜しんで言いました。              「苗のように芽が出ても花が咲かない人もいる。花が咲いても実のならない人もいる」           


 □二―二七(衛霊公第一五―一七)
  孔子が言いました。                           
「大勢で一日中たむろして、談論は一言も道義に言及することなく、ただ得意げに小賢しいことばかり言っている。こんな者は世に出ても成功することはないだろう」

                                                                   □二―八(子罕第九―二三)                        
 孔子が言いました。                              「若者には恐るべき可能性がある。勉強と努力によっては将来どんな大人物になるか分からないのだから。しかし四十、五十になっても世間に名前が聞こえないようでは、これはもう恐れるほどのことはない」              


□二―二九(陽貨第一七―二六)                          孔子が言いました。                              「不惑の四十になっても修養がなく、人に嫌われるようでは、もうどうにもならない」


□二―三〇 (憲問第一四―二五)                     
  孔子が言いました。
「昔の学ぶ者は自己の修養の為に学んだ。残念ながら、今の学ぶ者は世間の評判のために学んでいる」

□二―三一(泰伯第八―一二)
  孔子が言いました。                           
「残念ながら、今は三年の一期間学んだだけでただちに就職する者のみが多く、三
年後もなお就職をあせらず修行に励もうとする者は求めがたい」




□二―三二 (憲問第一四―三二)                                  
 孔子が言いました。 
「他人が自分を認めてくれないのを気にかけるより、自分の能力がないことを心配するがよい」




□二―三三 (学而第一―一六)                      
 孔子が言いました。
「人に知られないことを心配するな、学問は自己修養のためである。それより世の人物を知らないことこそ心配し、これを求めて交わることだ」      




□二―三四 (為政第二一一)                      
 孔子が言いました。                           
「古典を学び、を研究し、それに習熟する。そこから新しい知恵を引き出すことのできる人物は、指導者としてふさわしい」           
 


            
□二―三五 (子罕第九―八)                       
  孔子が言いました。                              「私は物知りだと思うか、いや物知りではないぞ。しかし、知識のない者が来て私にも分かぬことを聞いたら、私はその問題をいろいろな角度から徹底的に問いただし、結論を引き出してやるのだ」         
      


□二―三六 (衛霊公第一五―三)                     
  孔子が弟子の中でも秀才のに言いました。                  「お前は私を多くのことを学んで、よく覚えている物知りだと思うか」          が答えて言った。                          
「はい、そう思います。そうではありませんか。」                 「いや、そうではない。私は修行の結果、「一」つまり神とのつながりを得て、万事に応用できるのだ」

■まごころ論語 第一巻




  □一―一(学而第一―六)
 孔子が若い弟子達に言いました。
「まず、家にあっては孝を尽くし、社会に出ては目上によく仕え、慎み深くして信義を守り。仁のある人と親しくすることだ。それを実行して、なおかつ余力があったら書物を学ぶがよい」


□一―二(学而第一―二)
孔子の弟子、が言いました。
「親に孝を尽くし、年長者を大事にする人柄でいて、目上に逆らうことを好む者は少ない。目上に逆らうことを好まないのに、乱を起こすのを好むような者はめったにいない。
 君子は根本に力を入れる。根本が立って初めて道が生ずる。親に孝を尽くし、年長者を大事にすることこそ、まことに仁の根本と言えよう」



□一―三 (学而第一―七)
   孔子の弟子、が言いました。
「すぐれた先達を慕うことが色を好むことに勝り。父母にはできるかぎりのことをし、主君に対しては献身的に仕え、友と交わっては誠のある者なら、たとえ学問していないと言われても、これこそ本当の学問を身につけた者と評価する」

□一―四(里仁第四―一八)
  孔子が言いました。
「父母に尽くしその過ちを見つけだしたときはやかにめ、聞き入れられなくとも頭から逆らわず、父母を敬してなお努力をつづけて不平を言わない
ようにしなさい」




□一―五(学而第一―一一)
  弟子達に、どういうのが本当の孝行者であるかと聞かれて、孔子は言いました。「父の元気なときはその志を理解しようと努め、父が亡くなった後は生存中の行動を振り返ってみる。
 三年の喪の期間、父のやり方を改めなければ孝行者と言えよう」




□一―六(憲問第一四―八)
   孔子が言いました。
「その人を愛すればこそ、将来のため苦労させずにはおれない。まごころがあればこそ、進歩向上を諭さずにはおれない」


□一―七 (為政第二―七)
   弟子のが孝行について尋ねると、孔子は言いました。
「今は孝行といっても、ただ生活の面倒をよくみるだけだ。だが、それだけなら犬や馬でもよく養っている。もし尊敬の気持ちがなければ何の違いがあろう」





□一―八(為政第二―八)
   弟子のが孝行について尋ねると、孔子は言いました。
「敬愛の心が顔の表情にまで表れているのが肝心だ。事あれば若い者が労力を惜しまず、酒の席ではまず年長者に差し出す、そんな形の上だけで孝行と言えるのか」





□一九(里人第四二一)
   孔子が言いました。
「父母のくらいは覚えていなければならない。一つには長寿をび、もう一つには健康を心配するのだ」


□一―一〇(先進第一一―二一)
  弟子のが、
「義にかなうことを聞いたら、すぐ実行するのですか」
と質問しました。孔子は答えて、
「父兄がいるのに意見も聞かず、何で聞いたらすぐ実行してもいいものか」
と言いました。弟子のがまた同じことを質問した。
孔子は、
 「そうだ、聞いたらすぐに実行しなさい」
と答えました。弟子のが孔子に質問した。
「同じ問題について、に答えるところと、に答えるところが違っているのはいかがな理由でしょうか、私にはわけが分かりません」
孔子は答えて言いました。
は引っ込む方なので積極的にやるように奨めた。子路は出過ぎる方なので慎重にするようにさせたのだ」




□一―一一(為政第二―六)
  の家老のが孝行について質問しました。孔子は言いました。
「親には心配をかけないことだ。親はあなたが病気になることを一番心配されているのです」


□一―一二(子張第一九―一八)
  孔子の弟子、が言いました。
「私は先生からお聞きしました。『の大臣、の孝行は、他のことならいざ知らず、父の残した老臣と、しきたりを変えなかったというのは真似のできるものではない』と」


   
□一―一三 (泰伯第八―三)
 孔子の弟子、が重病になったとき、門人たちに言いました。
「私の足を見よ、手を見るがよい。詩経に『として深い淵の断崖に立っているように、又薄氷を踏むように』とあるように、私は父母から授かった体を故なくそこなわないよう、恐れ震えながら、心を張りつめ大事にしてきた。でもこれからはもうそんな心配はいらなくなった」